山々の顔

九・十月

朝起きると自分が生きていたかと、あたりを見渡す。そしていつも頭痛をしていることがうるさく思わん、がっかりして、またあたりを見渡している。 もう朝がすっかり明けたのだと感じているが、これが本当な朝かと疑って、少しでも冷やっこい枕の感覚が欲しく…

七月

誰でもひとつずつ年を取る癖に自分だけとった強さを見せてひと笑いする。年甲斐もなくということを心得て、きちんと礼儀よく座っているところを見ると、満更でもなさそうだとひやかし気味。 一方で、年はとりたくないものと言うが、年寄りの言うことは聞くも…

六月

あっちを向いても、こっちを向いても、本誌の遅刊の取り沙汰が行われているようである。ご心配をおかけして誠に恐縮の次第で、ご考慮のほど申し訳ない。 実は歳をとったせいか、低血圧の習慣が生活を脅かしているような気がしている。血圧を測る道具があるわ…

五月

年賀状を貰った中に、来年はもう寄こさないように頼むという寸言を添えたものがあった。俺はいくら生きても、年賀状を一々返事にして書く力量がなくなるだろう返事はしないのはというよりも、その気持ちを失せるからと言わんばかりである。儀礼的で若いうち…

四月

上伊那郡高遠町は国鉄バスに乗って、伊那市、茅野市と結ばれ、城跡は小彼岸桜が殊にすぐれて観客が多い。武田信玄の軍師山本勘助が築いたという由緒がある。 中信地方は松本市も含むが、鬼角狡知に長けた評判が強く、南信地方の温和に比べられる。いやはや以…

三月

無論、私は画も字も下手で中学校のとき、作品に画いて提出することと指示があった。誰に画いて貰おうかと思案していたら、俺が代理で引き受けたと良い友が見つかり、早速画用紙を持って行き、麗々しく間に合わせていただいた。 下手だなんて陰口を言いながら…

二月

北陸道地方では日本海に面するせいで大雪が降る。鳥取地方あたりでも同様な報道が広がる。この地方を旅したとき、青空を見ることは稀だと異口同音だった。出雲大社を参詣に旅したとき、同然の声を聴いて、雪をいただいた出雲神社の光景はきっと素晴らしいだ…

一月

ことし年賀状を差し出すとき、松本市大手三ノ五ノ十三とし、仰々しく別邸の名を飾るに驕ったような感じで、松本市横田四ノ十八ノ三を挿入したかたちであった。電話はあるぞとばかり、両方を並べて入れてある。 決して偉そうなつもりは毛頭なく、自分ながら少…

十二月

小さい鏡が手元にあって、きまったように自分の顔を見る。兎角、無精者の名に恥じず、さっぱりとした顔を写さないで、鼻の下と顎のあたりがやぶさったい毛が残る。 応揚にたっぷりと髭を生やさないで貧乏性をあらわす。誠にげすの後知恵の名に恥じないわけで…

十一月

郊外地から都市化に発展して大きい変貌がもたらされている。まだ田舎じみた様相そのままのところもないわけではない。質素のようなたたずまい、黙ってちょこなんと住む、そんなところか。メゾン何々と屋根のあたりに目印が有って二階造り、駐車場が広く朝夕…

十月

家にいても山が見えるし、外出すれば四方八方山ばかり。嬉しい時でも悲しい時でも山は元気がよい。存在感を山自身持っているわけだ。それだけ堂々としている。 てくてく歩いて行って、あたりを見回すと親しげに山がもう挨拶してくれる。近い山、そして遠い山…

九月

郊外地といっても、まるっきりハイヤーが通らない訳ではない。朝など出勤時間にはひっきりなしに忙しそうに通るから、学校へ行く児童たちが注意深く見守って、道を譲る姿がいとしいくらいだ。 ポストは近くにあり、時間を見計らってキチンと集めに来るから覚…

八月

五十四回目の終戦記念日である八月十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で開かれた。 思えば昭和二十年、長く一家で住んでいた家屋の強制疎開の難に遭う。電話局周辺五十米に接する民家は七月十五日限り、白壁に泥を塗ったくり迷彩を施した…

七月

風呂へ入ったあとは清々しい気分で、つい団扇を取りたくなってひとあおぎする。猫でもいれば一緒に風のこよなき涼しさにまぎれて、その名前を呼びかけたくなるものだろう。玉とかミケとか、それぞれ愛称があって可愛さが湧く。 そこへ行くと犬の方は玉とかミ…

六月

春陽堂が復刻創作探偵小説として四六判、美装ケース入り、江戸川乱歩の心理試験、屋根裏の散歩者、湖畔亭事件、一寸法師。小酒井不木の恋愛曲線、甲賀三郎の琥珀のパイプ、恐ろしき凝視を発売すると広告が出ていた。大正末期から昭和初期に刊行したアンソロ…

五月

季節はずれの果物類が店頭に並べられ、初冬でなければ食べられなかった蜜柑類が、いま得意顔に売られている。ちょっと昔、すっぱいものが甘いのと肩を並べていたが、どれを買っても甘い種類になってしまい、特にすっぱい好みの人には物足りないらしい。 湘南…

四月

しなの川柳社の所在は横田四の一八の三となっているが、本宅から離れて四年目に及ぶ。月日の早さに引っ掛かるが、齢のうえにもそれだけ殖えたことだから、つい年寄り気味を構えたがる。 予め郵便局に大手三ノ五ノ一三宛の便りは横田の方へ回送して貰うように…

三月

誰でもひとつずつ年を取る癖に自分だけとった強さを見せてひと笑いする。年甲斐もなくということを心得て、きちんと礼儀よく座っているところを見ると、満更でもなさそうだとひやかし気味。 一方で、年はとりたくないものと言うが、年寄りの言うことは聞くも…

二月

前号から続く。 「発句は季語の使い方を大事にしますが、わたしは季語にこだわらず、人情や世情を軽妙に詠(うたって)はどうかと考えているのです」 「後学のために……」「二つご披露願いませんか」 「さよう……こんなのはいかがですかな 爺が浮くほど女の裸…

一月

私は一度も会ったことがないが東京の春陽堂書店は古くから古川柳に関する諸題の単行本を出版されているので、何のお近付けも通さず些々たる「川柳しなの」を送り続けている。 今度、大栗葉丹後著す「裏隠密」叢書長く続いているなか、松本のところが出て来た…

十二月

冬になると思い出すのは騎兵隊を志して馬に乗った父の事。閑院宮連隊長に二十歳なのに二十一歳志願で、長い間兵隊になった父は、痔でも一番痛い痔瘻に苦しんだが、私が脱肛で医者に診て貰っていたら、そんなに苦しんでいては痔瘻の俺を見習えよとよく叱った…

十一月

ちょっと頭が痛い気がして、今日は一日臥すことになるかと思っていたのに、何時となく良くなって来たので安心した面持ち。すぐ齢だなと慮ったり、無理ならぬ体調だと先を読む。 少し郊外な静かな所に寝起きするようになってそろそろ四年目だなと気づく。無論…

十月

別宅の道に面して、隣の入り口に柿がたわわに色づいた。いい眺めである。メゾンだから大勢住んでいてあまり顔なじみになるような間柄でもない。動作はわかるが、顔は頓と覚えず、時間が銘々だからで気にもとめないでいる。並ぶいくつかの自動車は出勤用のせ…

九月

タクシーやハイヤーくらいのとたまにトラツクが警笛を鳴らして通るが、自分が運転するために購入した車が多く、朝夕のきまつた時間には往来が繁しい。 密集した人家の賑わいはないがそれでもきちんきちん家が並んでいる。犬を飼つておる家は沢山ないけれど、…

八月

決してハイカラではないが、昔ロイド眼鏡の異称ではやつたのを愛用して久しくなる。下に小さく老眼用、上に広く近眼用として最初は使つたが、だんだん視力が弱くなり、どつちつかずに掛けたまま上げ下げした格好で見る。 こうなると素通しの伊達眼鏡のような…

七月

殊更、犬を連れて散歩するわけでないけれど、身体を動かすことは健康によいと聞いたから、朝何となく近くを歩く。神社があるから祈るでもなく、丁寧に参拝をして少し落ち着く。近くに食堂があり、準備の物を煮る匂いが鼻に戯れる。いい接触で快い。 細い小路…

六月

眼鏡を掛けてから数十年余、大事に重宝して来た。楕円型の上部が近眼、下部が老眼のレンズで、ほんとうに長い間使つて来た。 どうもこの頃、度数に違和感があるような気がし、いらいらする不機嫌を生じて来た。 レンズの度数は眼科医に限ると決めて応診して…

五月

わが松本市は岳都の異名があつてぐるり山々に囲まれているが、四季を通じて馴染み深い間柄にある。夏になると待つていたとばかりに各地からアルピニストが押し寄せて、松本駅は混雑に溢れて賑やかさを増す。都塵を離れて清澄な山々に憧れる連中で、さすがリ…

四月

話の中で不意に「あなたはいくつになりますか」と問われるときがある。歳を訊ねるのを嫌なひともあるが、無論そう聞く人は私より若い。挨拶代わりにごく軽くあしらうようだ。 人に聞く積もりなら自分の方からさきにあかすのが礼儀だと向きになる。「いくつ位…

三月

松本城の登閣文芸作品のうち、川柳の選を私が一年に一回行つているが、なかに県外のひとも多く見受けられる。年毎に多くなつたような傾向で頼もしい。 この頃送つて貰つた静岡市「ゼロ通信」と一緒に「春秋残照」を送つていただいたが、 風鈴はふるさとを絶…