九月

 タクシーやハイヤーくらいのとたまにトラツクが警笛を鳴らして通るが、自分が運転するために購入した車が多く、朝夕のきまつた時間には往来が繁しい。
 密集した人家の賑わいはないがそれでもきちんきちん家が並んでいる。犬を飼つておる家は沢山ないけれど、吠えることが多いのでよく響くから、警戒心を呼びおこすことが多い。でも今まで大したことはなかつた。
 本宅からこちらに移つて三年になる。もう隣組長を頼まれたが、それほどの用事はなく、八十才過ぎの組長だから敬遠してくれる心配りが有り難い。でも隣組に配布するものは、いち早く処理して今まで苦情はない。或いは年寄りだから大目に見てくれているせいかも知れない。
 秋の運動会の準備で寄り合いの知らせがあつたけれど、特別隣組対抗の前触れがないから行かないつもりでいる。米寿そこそこの夫婦をあまり期待してくれないので感謝の外はない。
 プログラムに隣組対抗の綱引なら出てもよいが、プログラムにそれはなかつた。
 朝夕の散歩は風雨に拘らず、あまり遠くは回らないが、せいぜい二十分位を目指している。女房はスーパーに通う程度で、それでも歩くことだから運動にはなる。押し車を引きずつたり前に向かせたりして用を足す。私が歩くのと同じ足の運び方だと思つている。
 ふつと考えたことだが、市街地に出た折、薬屋でよもぎを懸案なしに少々買つて来て女房に見せたが、驚きもせず、期せずして翌朝から御飯がすんでから、ゆつくり構えて両脚を出し合つた。無論、女房の方が太い。がつちりしている。私なのは細い。
 数年前灸を志したことがあつてその痕跡は残つている。なつかしい跡というべきか。
 灸点心得の本をどこかに仕舞い忘れて、いまもつてさがし出せないからと、三里の灸よ、今日はとなるわけだ。私は信濃者だが江戸時代、出稼ぎに出て帰るときは二月二日ときまつていた。
  泣き出すを聞いて信濃
   暇乞    柳多留一一
 二月二日の灸の効く著さを詠んでいる。