年の暮れ

 年の暮れは何かと気ぜわしく、新しい年を迎える数日を指折りかぞえ、予定を樹てながら過ごすことになります。
 二十八日は餅つきときまっていました。味噌焚きとこの日だけに使う臼と杵を持ち出して綺麗に洗い、炊き立ての餅米をズシリと臼の中に入れるといよいよ餅つきです。
 八十二歳まで生きた達者な父はいつも搗く手、母が手返し、方言では「てんげえし」ですが、呼吸がよく合って見るからに調子づいていました。なかなか私の番には廻って来ませんでした。
 松飾りには毎年きまった人が忘れないで来ました。それをどこへいくつ飾るかは父の指図でしたし、気に入らないと叱られたものです。
 いつの年からか松飾りは縄手通りの露天から買うようになり、また「おみきのくち」と言って呼び声高く街の中を売り歩いた人も通らなくなり、これもいっしょに縄手で求めました。
 おみきのくちはお正月の神棚に供える神酒徳利に挿す竹製品ですが、初春には欠かせない縁起もので、竹を削り、そいで、細いひごを美しく輪のかたちに折り曲げてゆく手づくり、三階松とか五葉松、宝船の名があります。毎年代えるのですが、古いのも大切にするようにしております。
 お年取りにはみんないつもと違った素直な気持ちで顔を合わせます。富山から飛騨を越えて来たという飛騨ぶりが先ず大物。ひとときに大きくなる魚だから、家の身代も同じように見る間に大きくなる、そう信じてもいました。または鮭、これは出世魚
 黒豆はまめ(丈夫)でありますように、たつくりは田んぼの収穫がありますようにと願うしるしです。数の子はこのところ縁遠いですが、これもなくてはならぬご馳走でした。
 大根の煮物、福大根、細目にきらず輪切りにします。ちくわ、午蒡、蜜柑も出ます。お吸物、栗のきんとんなどいかがでしょうか。
 お年取りのご飯は三杯以上、二杯のような偶数でないのがよい、小盛りに数を多くしてほしいというのです。
 人間ばかりでなくて鼠などにも心を配るところがあり、鼠の年取りといってその出そうな所へ好物を供えておけば、年中いたずらをしないとか。
 みそかそばに舌鼓を打ちながら、折からの除夜の鐘を聞き、逝く年を送る感慨にひたり、二年詣りの人通りのざわめきにふっと耳を澄ませます。
 初音を売りに来る声がなつかしく、一年に一度のこの出会いをどんなにか待ちこがれことでありましょう。
  佳き年の使者とも思う初音来る   弓人