2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

子供の遊び

シャボン玉はすぐできる遊び。いくつも出るようにするには、松やにを入れるのが一番よいといい合ったものです。 地に落ちるまで美しきシャボン玉 史呂 水鉄砲は夏のものですが、股のある棒切れにゴミをくくりつけ、ピーンと伸ばして放つ遊びもありました。ゴ…

看板

馬肉屋なら馬を看板にしてもよさそうなものですが、馬だけでなく、馬と牛と喧嘩して馬が勝ったところを描いたものがあったそうです。松本ではどんなでしょうか。 もともと獣肉を売る店は、江戸時代の天保以降ようやく盛んになったのですが、猪の肉は山鯨とい…

ミニ動物園

松本駅前の国府町通りから西五町通りへ入る途中の左側に、あの頃浅草にあった花屋敷みたいな花鳥園がありました。入場料を払うと、なかは巡回式になっていて、食べ物屋があったり、何やら動物もいたり、ときに活動写真をうつしたり、安来節や鴨緑江節も唄わ…

飛行機

深志公園の上空を祝賀飛行機がとんで来ました。大正十四年五月十七日、普通選挙法が議会を通過したのでそのお祝いです。 明治三十年に「平等会」とか「社会問題研究会」とかを母体とする普通選挙運動の先覚者、中村太八郎(現山形村)らの念願が幾多の曲折を…

長寿

敬老といっても、これを受け入れる側の老人自身の心がまえはどうであろうかと自ら問うて、これに対する三つの提案を示す老人の声を聞いたことがあります。 その一は、どんな場合でも、愛される老人でありたいということで、よぼよぼしたのでは、見ただけで見…

敬老の日

俳聖といわれた松尾芭蕉が『更科紀行』を書いています。貞享五年八月、美濃路から木曽街道に入り、姥捨の月をめでて、善光寺を参詣したあと、道を南に、浅間山麓をへて江戸に帰る道中記録であります。 芭蕉は『更科紀行』のあと、しばらく奥羽地方へ長途の旅…

一里塚

穂苅三寿雄は『新宮本風物詩』のなかに、芝宮の松並木を書いています。松本市岡田の芝宮で、岡田神社の松並木をいうのです。松本にまだ汽車のなかった頃、兵隊にとられた若者たちが馬に乗り、親戚、知人や町の人びとにこの松並木まで見送られ、多くは高崎聯…