ミニ動物園

 
 松本駅前の国府町通りから西五町通りへ入る途中の左側に、あの頃浅草にあった花屋敷みたいな花鳥園がありました。入場料を払うと、なかは巡回式になっていて、食べ物屋があったり、何やら動物もいたり、ときに活動写真をうつしたり、安来節鴨緑江節も唄われたものであります。
 夏になると、身の毛もよだつ化け物屋敷の見世物がかかりました。娯楽のとぼしかったせいか、子供ごころにも楽しいところだったと思います。
 近くの新伊勢町通りには平和館があり、これは新町通りの松本キネマと相前後して開場した活動写真館で、とりわけ平和館は自由に入場出来たものですから、子供には馴染み深かった記憶があります。大正十一、二年頃。
 むろん、無声映画で、弁士がいくつか声色を変えて演じたのですが、平和館はほかと違って和洋合奏、とても人気を呼びました。時代劇の高木新平という俳優が早業を見せて活躍する場面には、みんなヤンヤといって大喝采をしました。
 深志公園広場には遊休広場で、普通のときは子供の遊び場、お祭りになると見世物小屋がいくつも並びました。サーカス、蛇娘、ロクロッ首など、楽隊と呼び込みも賑やかに、大いに好奇心をそそりました。
 昭和十五、六年頃だったと思いますが、その広場の東側にコの字型のミニ動物園ができました。それは入場料を払うという大きいものでなく、ごくありふれた動物が金網のなかで飼育され、行きずりの家族たちをたのしませるための動物園だったのです。
 篤志のある方が私財を投じてか、あるいは寄付を仰いでの開園だったのでしょうか。私はたまたま子供を連れて行ったものです。ただひっそりと動物たちは人待ち顔で、それも見物人がワイワイ押し掛けるというほどでもなく、こんな小さな動物園でも観て下さる人があれば心足るという温かい気持ちがわかるのでした。
 鳥類もいましたが、猛獣はいません。熊あたりがこわい方で、不注意のないように、がんじょうな金網がしっかり張られてあったのです。
 熊といえば、縄手通りで腑分けした熊をひろげて売っていました。皮についた油が、ヒビやアカギレにきくというふれこみで威勢よかったし、店頭売りばかりでなく、背に負って一軒一軒売り歩くこともありました。熊の肝を水で溶いて傷口につけると、特効があるとも聞きました。