2016-01-01から1年間の記事一覧

年の暮れ

年の暮れは何かと気ぜわしく、新しい年を迎える数日を指折りかぞえ、予定を樹てながら過ごすことになります。 二十八日は餅つきときまっていました。味噌焚きとこの日だけに使う臼と杵を持ち出して綺麗に洗い、炊き立ての餅米をズシリと臼の中に入れるといよ…

冬至

同じ昔話でも農村の人からじかに聞けばまたひと味違うだろう、その機会がほしいものだと思っていました。ある日、友だちが「うちのおばあさんが乗り気だから」とさそわれました。 郊外に住む友だちの家に出向いて、そのおばあさんから昔話を聞いたのですが、…

冬雪

季節はずれに雷様がゴロゴロと鳴り出すときがあっても、最盛期とちがいますから、こわがりもせず、不思議そうに耳を澄ませます。 十一月に雷が鳴ると、雪の降ることが多いとか、来春は米価が高くなるとか、魚がたくさん獲れるという地方があります。 秋雷は…

瞽女余情

こどものころ、天蓋【てんがい】で顔をおおい、袈裟を引っ掛け、尺八を吹く虚無僧が門付けに立っているのをよく見かけました。テレビや劇画に出てくる扮装ですから、時代を超えた印象が強く、むかし仇討に身をやつし、あるいはまた仇討の目からのがれた姿に…

煤払い

松本城が暮れに迫って大掃除をする日といえば、仕事納めの十二月二十八日ときまっています。思い思いの掃除道具で煤【すす】払いしている様子を見ると、普通の建物と違うものですから目立ちます。それだけに歳晩風景にふさわしく思われてきます。 家庭の煤掃…

物臭太郎

東筑摩塩尻教育会(開智二丁目)の前庭にある物臭【ものぐさ】太郎の像は、悠然と腹這って無心に大空を眺めている童児で、いかにも天衣無縫なたたずまいを思わせます。 物臭とは、しごくめんどうくさがりやということでしょう。お伽草子の「物臭太郎」による…

雪女

昼間は何ともなかったのに、とっぷり暮れかかる頃、いつとなくちらちらと雪が舞いかかり、あたり一面がうっすら白さで広がってゆく景色に、ふと見とれることがあります。 子供たちが思わぬ雪にはしゃぎまわっていると、母に「早くお家へお入り。いつまでもそ…

焼き芋

近所に青果屋さんがあって、出回る頃になると忘れずにサツマ芋を一俵届けてくれました。どこの家庭でもそうですが、ご多分にもれず私の母も大好物でした。すぐに蒸して今年の出来はどうかな、とみんなで賞味しました。 「氷」と藍地に白抜きの幟【のぼり】を…

落ち葉

「いま松本駅に着いたばかりだが、君と逢って話したいことがある」―そういう電話がY君からありました。何だろうか、たしか岐阜県にいるはずだが、その後の動静を聞こうということもあって、早速出かけました。 道々歩きながら話すところによると、せっかく…

義民を偲ぶ

松本城の一番上の屋根に街灯くらいの電灯が立てられたことが、むかしありました。毎晩点灯するわけでなく、何かの慶事があるときに限って灯りがつきました。遠くから眺めると城の頭にローソクを立てたような情景で、たしかにあたりを明るくしました。まだ、…

郷土玩具

小林朝治は須坂町(現須坂市)で眼科医院を開きながら、かたわら版画家として全国に知られていました。私は月刊雑誌『川柳しなの』を創刊して間もなく、郷土玩具を模した版画で表紙を飾らせていただき、好評を得たものです。 まず昭和十二年八月号が「七夕雛…

えびす講

七福神のなかの恵比寿さまは、鯛を小脇に抱え、釣竿を持っています。いつの頃からか、これを信仰する商家が商売繁昌の神さまとしてお祭りし、十一月二十日えびす講が行われるようになりました。 松本では本町一丁目が所有する深志神社境内のえびす殿の例祭日…

案山子

街なかに住んでいたから、遠足などで郊外に出るのがどれほど楽しかったことか、少年の頃を思い出します。肥料になるレンゲ草の咲き揃った田圃に寝転がったり、ニョロニョロしたオタマジャクシを捕ったり、人さし指でぐるぐる円をかきながらトンボをつかんだ…

七五三

子供たちの集まる場所を知っていていつもの時間に来る飴細工のおじさんが、街の片隅でせっせと飴の技芸品をこしらえてゆきます。それを見るのがとても楽しみでした。 炭火で温められ、やわらかくなった飴をヨシの軸につけて、息でふくらましたり、伸したり、…

二十六夜神

松本城の二十六夜神の例祭は十一月三日。三石三斗三升の餅を献上する餅つきの神事は、古式にならって行われます。二十六夜神は松本城の安泰、加護の守り神で六階の梁の上にまつられていますが、御神体は煙草の根であるとか。 全国にはいくつかのお城がありま…

白菊黄菊

松本市民祭は回を重ねるごとに華々しく行われます。市民みんなの生活の豊かさを象徴するような恒例のお祭りです。 文化の日をはさんで、十一月の秋の澄んだ空の下、芸術文化祭、商工観光まつりなど部門別の催しものは、市民それぞれの活気でみち溢れることで…

 秋刀魚

桂枝太郎は落語家、新作ものを手がけました。十八番は「磯のあわび」、地方巡演中をとらえ川柳大会にはしばしば出席、全国の川柳界に広く顔を売っていました。川柳も作りますが、二十六字詩(情歌、街歌ともいう)が得意でした。「機関誌『やよい』を発行す…

読書シーズン

江戸時代に出版された十返舎一九の書いた『膝栗毛』という本は、弥次郎兵衛、喜多八の二人が、行くさきざきで繰りひろげる滑稽道中記。東海道中だけですませる予定でしたが、あまりの評判で、金毘羅参詣、宮島参詣、木曽街道、善光寺道中、上州草津温泉道中…

お医者さま

明治四十年に松本町から松本市になりましたが、これを機会に松本医師会は東筑摩郡医師会から独立しました。その初代会長は新家【にいのめ】実次郎といって大柳町(日銀の東向かい)の先生でした。背筋をピンと張って愛用の杖をついて往診する先生を町でよく…

いが栗

えぞ豆本、九州豆本、青森豆本とかいろいろの豆本があります。版画、エッチング、孔版、拓摺りなど、あらゆる巧緻を極めた印刷技術が、瀟洒な製本に仕立てられ、愛書家にとって珍重すべき限定本。にわかに入手出来ない状況であるだけに、貴重な、そしてまこ…

小林清親

父があつめた、はりませの二枚折り屏風には、巌谷一六の書や諸家の絵にまじって、小林清親の風刺画が異彩を放っています。兜、陣羽織に身を固め、大槍を持った加藤清正が、張子の虎を見てびっくり仰天の図で、私は小さいときからこの画に馴染んできました。 …

鉄道記念日

松本駅ビル・セルヴァンは松本市民待望のうちに、昭和五十二年七月二十二日開業され、松本の玄関にふさわしい威容を誇っています。 明治三十五年に篠ノ井線西条―松本間が開通し、松本駅は六月十五日に営業を開始しました。明治三十九年に中央東線、明治四十…

そろばん

散歩はユックリ、ユックリよりも、少し足早の方がよいと聞いて、松本城の北濠を通り、松本神社をお詣りしてから、境内の「堀内桂次郎先生碑」にふと目をとめました。松本市大柳町生まれ、郁文学会をつくり私学振興に尽くした人で、薫陶を受けた教え子たちが…

体育の日

運動会のシーズン。保育園や幼稚園、学校、職場、町内でもさかんです。このごろは老人の運動会もやるようになってきました。灰皿を頭にのせて落とさないように走る「はげかくし競争」は、ユーモアにあふれています。 昔、天守閣広場を運動場としていた松本中…

子供の遊び

シャボン玉はすぐできる遊び。いくつも出るようにするには、松やにを入れるのが一番よいといい合ったものです。 地に落ちるまで美しきシャボン玉 史呂 水鉄砲は夏のものですが、股のある棒切れにゴミをくくりつけ、ピーンと伸ばして放つ遊びもありました。ゴ…

看板

馬肉屋なら馬を看板にしてもよさそうなものですが、馬だけでなく、馬と牛と喧嘩して馬が勝ったところを描いたものがあったそうです。松本ではどんなでしょうか。 もともと獣肉を売る店は、江戸時代の天保以降ようやく盛んになったのですが、猪の肉は山鯨とい…

ミニ動物園

松本駅前の国府町通りから西五町通りへ入る途中の左側に、あの頃浅草にあった花屋敷みたいな花鳥園がありました。入場料を払うと、なかは巡回式になっていて、食べ物屋があったり、何やら動物もいたり、ときに活動写真をうつしたり、安来節や鴨緑江節も唄わ…

飛行機

深志公園の上空を祝賀飛行機がとんで来ました。大正十四年五月十七日、普通選挙法が議会を通過したのでそのお祝いです。 明治三十年に「平等会」とか「社会問題研究会」とかを母体とする普通選挙運動の先覚者、中村太八郎(現山形村)らの念願が幾多の曲折を…

長寿

敬老といっても、これを受け入れる側の老人自身の心がまえはどうであろうかと自ら問うて、これに対する三つの提案を示す老人の声を聞いたことがあります。 その一は、どんな場合でも、愛される老人でありたいということで、よぼよぼしたのでは、見ただけで見…

敬老の日

俳聖といわれた松尾芭蕉が『更科紀行』を書いています。貞享五年八月、美濃路から木曽街道に入り、姥捨の月をめでて、善光寺を参詣したあと、道を南に、浅間山麓をへて江戸に帰る道中記録であります。 芭蕉は『更科紀行』のあと、しばらく奥羽地方へ長途の旅…