読書シーズン

 江戸時代に出版された十返舎一九の書いた『膝栗毛』という本は、弥次郎兵衛、喜多八の二人が、行くさきざきで繰りひろげる滑稽道中記。東海道中だけですませる予定でしたが、あまりの評判で、金毘羅参詣、宮島参詣、木曽街道、善光寺道中、上州草津温泉道中、中山道中というように、弥次・喜多コンビを次から次へと書きました。享和二年から文政五年まで、およそ二十年間にわたるベストセラー、ロングセラーでした。
 さて『続膝栗毛八編上』に松本のことを「繁昌の所にして、町並よく商家数多く軒をならべて、往来殊に賑はひたり」と書いています。
  いく千代をふりよく見ゆる枝町もしげる常磐の松本の駅
 時代はくだって明治三十一年、山内実太郎の『松本繁昌記』という本が出ましたが、「松本の人情」の項に「信濃は山や河が多く、いくつもの小天地にわかれて交通が不便だから、兎角胆っ玉が小さい。長野の人は通りいっぺんで軽薄だ。松本の人はシャラ狡【こす】いと言われる。また器用だともいう。この器用がシャラ狡いに見られるらしい」と書いてあります。
 大正元年に松本高女の先生をしていた津島壱岐が『松本大観』を出しました。その「松本の地理」の中に松本の人口は三万七六二二人、「営業税二十五円以上納むる人員一覧」も出ていますが、法人の名が二十社、個人の名が三百二十一人です。主な生産品は、足袋一六七万足、価格二十五万円。織物三百余反、七千円。醤油三千三百余石、八万円とあります。
 郷土研究で知られた胡桃沢勘内は、大正四年に平瀬泣崖のペンネームで、『松本と安曇』を出しています。その中の「ボッカの話」のなかに、「昔から大町街道の貨物運搬を主業とした人夫の名称で、稼ぎ時は馬の通わなくなる冬季である」と書いています。ボッカといえば、今は山に荷をあげる人たちを指しているようですが、自動車もなく、道路事情も悪い時代の生活が目に浮かんできます。
 こうした本は読みたいけれど、なかなか実物を手に入れることが出来ずに残念がっていたが、ようやく見つけて読むときの感激は、またひとしおのものがあります。
 時あたかも十月二十七日から読書週間。秋の深まりをおぼえます。