秋刀魚

 桂枝太郎は落語家、新作ものを手がけました。十八番は「磯のあわび」、地方巡演中をとらえ川柳大会にはしばしば出席、全国の川柳界に広く顔を売っていました。川柳も作りますが、二十六字詩(情歌、街歌ともいう)が得意でした。「機関誌『やよい』を発行するから印刷してくれないか」と突然訪ねてきました。朝一番の新宿発で来たのですが、用件がすむと「寄席の夜の部の受け持ちがあるから」といってすぐさま帰りました。
 大阪に川柳大会があり、私は選者に招かれて出かけました。ブラリと道頓堀を歩いていましたら、角座に枝太郎出演を知って、木戸口に来意を告げると休憩時間に私を楽屋まで呼んでくれ、そこでひいきの者に配るあの名入れの手拭をいただきました。
 枝太郎は江戸っ子で、薬科大学出身のインテリア噺家。永年刑務所、更生施設慰問に力を尽くされ、松本や有明には顔馴染みだったと聞きます。
 林家正楽紙切り、いまの正楽でなくその先代ですが、飯田出身。私は紙切り術に関心がありまして、文通をかわすようになりました。たまたま上京、上野へ回ったら、鈴本で出演中を知り、面会を頼みますと快く会ってくれました。いつも笑顔をたやさない人でした。
 正楽は、はじめ落語家で、のちに紙切りの余技を生かして紙切り芸能に変わり活躍しました。「さんま火事」は正楽新作ものです。意地の悪い家主をこらしめようと店子連中が知恵をしぼります。サンマを焼く煙を「火事だ」と大騒ぎして驚かすところがあります。
 このサンマ、秋刀魚と書きます。細長く光る刀身に似る秋のさかなといった意味になるのでしょうか。はだ寒い風が吹く頃、サンマを焼く煙が人恋しさを覚えさせるものです。
 寒いところから暖かい南の国へ渡るツバメ、コマドリに連れ立ってカツオもトビウオもお別れです。そして入れ替わって、北の方からサンマがぞくぞく日本近海にやって来ます。すんなりとして、キラキラ銀鱗をひらめかすサンマが食卓を賑わせてくれますと、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の絶唱をフト口ずさみたくなります。
  あはれ
  秋かぜよ
  情あらば伝へてよ
  ――男ありて
  今日の夕餉【ゆうげ】に ひとり
  さんまを食【くら】いて
  思ひにふける と。