瞽女余情

 こどものころ、天蓋【てんがい】で顔をおおい、袈裟を引っ掛け、尺八を吹く虚無僧が門付けに立っているのをよく見かけました。テレビや劇画に出てくる扮装ですから、時代を超えた印象が強く、むかし仇討に身をやつし、あるいはまた仇討の目からのがれた姿にも見られます。
 動くカラクリ人形を乗せたのを首に掛け、門口を訪れることもありました。太鼓、笛を伴ったお神楽連の三人が賑やかに一軒一軒廻ることもあって、それがすむと、贔屓【ひいき】とめざすところへ寄って大振る舞い。子供ごころにも浮き立ち、友達と一緒に広間に座りこんで見たものであります。
 今まで晴れていたのに急に泣き出すような空模様、チラチラ雪も降り出す。そんなとき三味線を小脇にした年寄ったおばさんが、トボトボと杖を頼りに来ます。目が不自由で眉毛に雪が舞い、また消えます。瞽女【ごぜ】といったのか、どうも思い出せません。このおばさんは、私の家に寄った記憶はないのですが、少し先に住んでいた老夫婦の家にはよく参りました。小脇に控えた三味線を両手で支えるのに変え、一曲奏でるのです。
  安寿の姫にずしおう丸
  船別れのあわれさを
  あらあら読みあげてたてまつる
  佐渡と丹後の人買いは
  沖の方へといそがるる
 説経節山椒大夫」であったかどうか、それはさだかではありません。
 水上勉の『はなれ瞽女おりん』は篠田正浩監督で映画化され、岩下志麻の純情一筋の演技が評判を呼びました。仲間を作って一定の住所に集団生活をしながらの旅の哀話です。
 前に立つ手びきの女の肩に手をのばし、一人がつづくとそのあとにまた同じように手を先の背に添える姿で、漂白の旅愁をつづけてゆく。
 はぐれ瞽女とは、何かしくじりを起こし、つい離れ離れになってしまい、仲間はずれで定宿に泊ることはできず、村はずれの地蔵堂阿弥陀堂をねぐらにしなければなりませんでした。
  瞽女かなし水仙ほども顔あげず   一都
 沢田早苗はこの句をこう解説しています。―ー手引瞽女の内向的な性格なのか、いつも伏目がちで顔を上げることがない。厳寒にめげず咲き出る気品高い水仙。垂れ咲く花のうつむく習性など、すべて瞽女を象徴するかのような可憐さーー。
 私が幼い頃見たおばさんが、果たしてはなれ瞽女であったのでしょうか。