煤払い

 松本城が暮れに迫って大掃除をする日といえば、仕事納めの十二月二十八日ときまっています。思い思いの掃除道具で煤【すす】払いしている様子を見ると、普通の建物と違うものですから目立ちます。それだけに歳晩風景にふさわしく思われてきます。
 家庭の煤掃きはいつというわけでなく、都合のよい日を選んでやるようです。先頃まで農村ではところにより十三日、十四日にしたものでした。この日を「よごれ年」といって煤払いをし、風呂へ入ってさっぱりしたあと、スルメやサンマで「よごれ年の年取り」をしたのです。
 江戸城を始め、武家方の煤払いの日は十三日ときまっていました。
  十三日富札の出るはづかしさ   (柳多留 十四)
 江戸時代の句。富札というのはいまの宝くじのことですが、大掃除をしているうち部屋の思わぬところから富札が見つかったのです。他人の目にふれてはずかしいとは、一かく千金を夢見る当時の地道だった心情をうかがうことができます。堂々と、だれにも遠慮なく買いに行く今日の見馴れた風俗として定着しているのにくらべて、隔世の感があるといえましょうか。
  十四日昨日は胴で今日は首   (柳多留 十一)
 昨日は胴、今日は首とはいささかクイズめいていますが、実は煤払いが終わったあと、主人以下一同胴上げをしてめでたく掃き納める習慣がありました。それが胴で、十四日の首とは、元禄十五年十二月二十四日を指し、赤穂浪士の本懐を遂げた日、吉良上野介の首級を意味するわけです。
 東京高輪の泉岳寺は主君浅野長矩夫妻と四十七士の墓が並んでいます。鉄道唱歌に、
  右は高輪泉岳寺
   四十七士の墓どころ
  雪は消えても消えのこる
   名は千載ののちまでも
 香煙絶ゆるときがないといわれています。
 義士顕彰会というものがあって、松本市高宮の藤沢千里はこの世話人で、戦争前まで記念の催しものや講演会を開いたり、機関誌を配布したものでした。