冬雪

 季節はずれに雷様がゴロゴロと鳴り出すときがあっても、最盛期とちがいますから、こわがりもせず、不思議そうに耳を澄ませます。
 十一月に雷が鳴ると、雪の降ることが多いとか、来春は米価が高くなるとか、魚がたくさん獲れるという地方があります。
 秋雷は鰤【ぶり】の値が上がる先触れと古老から聞いたことを思い出しますが、大晦日に雷が鳴ると、雷様は外で年をとるものだとは、民話にもなりそうなニュアンスを感じさせます。
    雷の手間取●
  浪人者、合力を頼み申すと門に立つて貰ひければ、亭主「もしもしそなたは何商売をさつしやるぞ」「拙者は雷の手間取で御座る。いつも夏の内は口過も出来ますが、冬はとんとひまで、ほんに天竺浪人さ」   (太郎花・寛政年間)
 雷様の手伝いをしている季節労働者で、冬はこれという稼ぎもなくて、しがない天竺浪人さ―とぼやくあたり、住所不定の浪人をいいあらわしています。
 昔は雷様をいろいろに見立てたもので、まことしやかに雷獣にたとえた話も出てきます。支那雷州では冬に雷獣を捕えないと、翌年しきりに落雷するからその肉を食う――と「市井雑談集」にあります。また、毎年正月、人々が集まってイタチに似ている雷狩りを決行すると、その夏は雷鳴が少ない――などといいました。
 北安曇地方の口碑伝説には、こんなのがあります。社区曽根原のある人が昔、山田の近くで木を伐っていますと急に夕立がして大荒れとなり、代田の中に雷様が落ちて来て空へ上れない。そこで早速生捕って家へ持ち帰りますが、ちょうどヒグマの子どもぐらいのものだったそうです。
 雷獣というものは実際雷様として天上から落ちて来たのではなく、雷鳴に驚いた獣がそこここと走り出たのを機に、やあ雷様だと推量したのでしょう。
 最近松本地方で十一月に雷様があったとしは昭和三十七年、四十五年、四十七年、五十二年で、十二月と一月にはなく、二月は昭和五十三年、三月は昭和四十四年、四十八年、五十年という松本測候所の記録です。
 中谷宇吉郎の『雷の話』に、雪雷という吹雪で起きる雷が、北極地方に探検に行ったとき遭遇することが述べられ、温かい氷と冷たい氷とが衝突すると、はっきりした電気現象が出ます。
   雷一声まことしからず寒の雨   白雄