2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
1975年1〜12月、更新。 1976年1〜12月、更新。 1974年1〜12月、更新。
西行は半ぶんよんで吸いつける (柳多留 二三) 諸国行脚でかずかずの話題をまいた西行法師。歌人である。これは信濃国での物語。 佐久市川辺の牛に引かれて善光寺詣りで有名な布引観音をお詣りして別所の北向観音へ行く道すがら、小県郡塩田町西塩田の山田…
日月の旗で村上名を輝らし (しげり柳) 村上義光は南朝の忠臣、埴科郡坂城町村上郷出身である。通称彦四郎、左馬権頭に任ぜられていた。 元弘の乱のとき、その子義隆、赤松則祐、平賀三郎、矢田彦七等と護良親王に従い、大和十津川に逃れようとした。 とこ…
煙り立つ山が日本の香炉峰 (柳多留 八九) 香爐峰は白楽天の詩で名高いが、これを知つていて清少納言が大いに文学的素養のほどをひらめかした逸話は馴染み深い。 形はまるく、雲や霧がまるで煙りのようにたちあがる香爐峰の日本版は浅間山。 長野県と群馬県…
はげる嘘では膳椀も貸さぬ仲 (柳の丈競) 全国にちらばつているが「椀貸伝説」というのがある。本県では南安曇郡穂高町有明区の鼠穴、伊那市富県区貝沼の真菰池、下伊那郡大鹿村鹿塩の駒ヶ池などに同じ言い伝えが残つている。 前の晩に「あす、何人前の膳椀…
信玄の頭にやどる諏訪の神 (柳多留 四一) きようは島木赤彦忌。長野県の生んだ歌人だが、その誕生地をめぐつて二派が対立、記念碑も別々に建立されようとしている。 従来、諏訪市角間とされていたが、そうでなくて茅野市豊平だという。赤彦の父が当時、諏…
今の世になつても上田丈夫なり (出所不明) 糸になりたや 蚕の糸に いとしお方の 上田縞 上田小唄でうたわれているように、上田は昔から蚕種の製造と養蚕や製糸が盛んなところで、この上田縞は今から二百数十年前の寛文延宝の頃から織り出されていた。 延宝…
講釈師真田が丸で銭もうけ (柳多留 四四) 徳川家康は機を見るに敏という抜け目のない人物だつたからタヌキ親父と愛称される。愛嬌者のようでいて、めつたな油断は出来ぬというのが本音だろう。 このタヌキ親父にも苦手の人物がいた。それは外でもない真田…
下駄の瓢箪真田紐でもちこたえ (柳多留 一一八) 履物では靴やサンダルが何といつても便利だ。下駄は忘れられているみたいだが、それでも捨てがたい。 江戸日本橋新和泉町に平四郎店という下駄屋があつた。これは変つた店で外法下駄という下駄をキヤツチフ…
銭と見て散る辻講の三代記 (文久) 江戸時代、大名が通りかかると道路にペタリと座つて頭を低くしていなければならなかつた。今から考えると全くバカバカしい。 ところがこの大名行列に、道筋を変えさせるほど権威を持つたリクレーションがある。ほかでもな…
文七とお六は髪の友かせぎ (柳多留 五四) 文七は文七元結。お六はお六櫛で、共に頭髪には缺かせないもの。 元結(もとゆい)は髪を結ぶのに用いる細い紐。飯田の産。お六櫛は歯のこまかいのと丈夫にできていることで名の通つた木曽薮原の名産。いずれも信…
御いたづら一村芋に歯がたたず (柳多留 三二) 小県地方の七不思議とは上田城の真田石、滝の宮の片目魚、山口の一つ火、虚空蔵山の無名木、沓掛の石芋、鴻の巣、弘法石の七つである。このうち青木村沓掛の小倉の湯、湯尻の石芋伝説はこの地方ばかりでなく各…
八大龍王九頭龍と兄弟か (柳多留 一二二) 上水内郡戸隠村の戸隠の奥社社殿の傍の洞窟の中には、天力雄命が鎮座する前からこの地に居られた九頭龍神が地主神として祀られ今も毎朝この窟には白米を炊いて梨の実と共に神供せられているという。 太古、青い鏡…
大そうな坂森のある和田峠 (柳多留 一四〇) 今は国鉄バスが通つているが、昔の中仙道で、諏訪郡下諏訪町と小県郡和田村を結ぶところに和田峠がある。標高一、五三一メートル。北の和田、南の下諏訪のどちらからも十二キロの登り道。 頂上からは東に浅間山…
昼背中夜は善光腹が冷へ (柳多留 四一) 善光寺は天台宗の大勧進と浄土宗の大本願という二つの宗派によつて管理されている。二十五院、十四坊のように両派にわかれ、参拝客は分宿する。信者か旅客かでもめたのも道理。 仏都といわれる長野市は付近に温泉が…
駒ケ岳鞍摺るほどに春の雪 (柳多留 一三四) 駒ケ岳は木曽駒とも呼ばれ、中央アルプスの主峰である。 伊那方面なら飯田線の駅のいくつかに木曽駒登山口の宣伝が利いている。木曽方面からは福島口、上松口などがある。この山上の濃ヶ池にまつわる伝説はこう…
消え残る雪に月毛の駒ケ岳 (柳多留 七八) 織田信長が天正十年(一五八二)の春、甲州の武田勝頼をほろぼしたとき、木曽駒ケ岳に神馬がすんでいることを聞いて興味をおぼえた。 「四百年にも及ぶ神馬だとて捕えられぬことはあるまい。今年は戦いのために出…
駒ケ岳木曽の谷川手綱にし (柳多留一四三) 木曽駒ケ岳の山麓高原地帯に「東海地方の軽井沢」をつくろうと着々建設工事が始まつている。 西筑摩郡日義村の現地で、名古屋財界が協力して、別荘地・ゴルフ場の開発と共に、将来は冬のスキー・スケート場を含む…
状箱が来ればよばれる太夫坊 (柳多留 一) 木曽義仲には乳兄弟がある。兼光、兼平、巴の兄妹。義仲を幼いとき養育した中原兼遠の子供たちだ。その頃関東へ往復の道中を兼遠の館を定宿とした坊さんがある。誰かといえば比叡山東谷の太夫坊覚明。何くれとなく…
髯をつかんで春秋をよんでゐる (やなり筥 二) 美しいひげをしごきながら自慢にして比べ合うコンクールを開く物好きがある。 この句のように愛読書の春秋を繙きながらしきりにわがひげを愛撫する関羽ならずともわが信州には(ひげの玄三)がいる。「玄さん…
平家物語四五はい喰つて書き (柳多留 二三) 古川柳に登場する大めし食いは、だいたい信州人を指しているものとみて間違いないといえるほど、信州人の大めし食いは“著名”である。 平家物語の作者については諸説がある。兼好法師が「徒然草」の中であげてい…
正の字の並ぶ武の神稲の神 (柳多留 五六) 江戸の作家が文化八年(一八一一)に松本の天白神社に奉納した句。正八幡と正一位稲荷大明神をまつることを意味する。 ところで、この土地には古い伝統の「松本手まり」がある。城下町松本に長い歴史を持つ手工芸…
城を枕の寝返りは大野父子 (柳多留 九五) 高輪泉岳寺の香煙は赤穂四十七義士の美挙を今に伝えて奥床しい。 その反面、ふらち者とされた大野九郎兵衛父子はどうしたのであろうか。 義士快挙の後、その身の置くに安からず、父は上州妙義山の麓で手習師匠とし…
檜を曲げて利にする木曾の木具細工 (柳多留 一〇九) 長野県は七〇%余りの地域が森林でおおわれているが、そのうちでも木曽は一番聞えが高い。 だから木地細工や檜の曲物細工は古くから木曽路の名産であつたことがうなずける。 六百年前、木曽福島町に漆塗…
朝日の光を奪つたは星月夜 (柳多留 一〇四) 朝日将軍義仲が寿永三年(一一八四)一月二十一日に華々しい最後を遂げ、星月夜の異称のある源頼朝に凱歌を挙げしめるにいたつての後日譚。 義仲の二男、のちに原信濃守義重は樋口次郎、手塚太郎を供として上水…
火のついたやうにお七は逢ひたがり (柳多留拾遺 四) きようは消防記念日。 (火のついた)と聞けば早速、夜更けであろうがいつ何どきでも駈け付ける消防の人たちはまことにご苦労さまのことである。 カーン、カーンといい音色と共に、あでやかな扮装で舞台…
勾当拝領の後ち物草太郎 (出典不明) 新田義貞はかねて恋いこがれていた美女の勾当内侍を内裏より下されてから、その側を離れるにしのびず、暫しの間の別れを悲しんで、足利尊氏追討の出陣にも遅れたといわれている。この物草太郎とは愚図、怠惰、不精を意…
物ぐさ太郎へ母きうをすへる (柳多留 一七) 江戸時代、労症にかかつた者は灸をすえれば治癒すると信じられていた。労症の心気進まぬ病態を一般に物臭太郎と異名したが、この句はそれをいつたのである。 「物臭太郎」の物語では、そのあまりの不精さがかえ…
黒猫を物くさ太郎抱いて居る (川傍柳 二) 室町時代の御伽物語「物臭太郎」は信濃国筑摩の郡あたらしの里に住んでいたとあるがこれは今の松本市新村に当るといわれる。 四本の竹を四隅に立て、こもをかけ寝ころび、目の前に落ちたものでも自分の手で拾わな…
小笠原流で供へる雛の餅 (柳多留 九三) 長野県でも近頃はだんだん月おくれでなくてきよう雛祭りをする所がふえている。 松本の有名な「押し絵びな」は江戸時代の後期につくられたもので、布地は京都の西陣などからとりよせた豪華なものが多く、顔や着物を…