三月五日

   物ぐさ太郎へ母きうをすへる


             (柳多留 一七)





 江戸時代、労症にかかつた者は灸をすえれば治癒すると信じられていた。労症の心気進まぬ病態を一般に物臭太郎と異名したが、この句はそれをいつたのである。
 「物臭太郎」の物語では、そのあまりの不精さがかえつて珍重され、請われて京に上つてから見違えるほどまめまめしく奉公している間、奇縁で朝廷に召され、その貴い素性が分つて中将に任ぜられ、細君を連れ再び信濃へ下つて円満福寿のうちに暮したという。
 松本市新田町の教育研究センター・東筑塩尻教育会館表庭に物臭太郎像がある。真を養つて信念を貫いた精神は進歩的だつたという解釈もある。