三月六日

   勾当拝領の後ち物草太郎

 
          (出典不明)




 新田義貞はかねて恋いこがれていた美女の勾当内侍を内裏より下されてから、その側を離れるにしのびず、暫しの間の別れを悲しんで、足利尊氏追討の出陣にも遅れたといわれている。この物草太郎とは愚図、怠惰、不精を意味する。
 物語の「物臭太郎」は、おたかの大明神、女房はあさひの権現に祭られたことになつている。おたかはお多賀(松本市出川の多賀神社)ほたか(南安曇郡穂高町穂高神社)の説がある。また、あさひは松本にあつた浅井権現社であるともいう。