三月二十七日


   信玄の頭にやどる諏訪の神


            (柳多留 四一)




 きようは島木赤彦忌。長野県の生んだ歌人だが、その誕生地をめぐつて二派が対立、記念碑も別々に建立されようとしている。
 従来、諏訪市角間とされていたが、そうでなくて茅野市豊平だという。赤彦の父が当時、諏訪郡豊平村古田分校の先生で、その四男として出生届を寄留の下古田に届出たものを本籍地の戸籍簿に写し書きしたものにすぎないという意見。
 ところで諏訪大社は上下両社に別れているが、下社は下諏訪町、八坂刀売命をまつる。赤彦の墓はこの下諏訪町高木にある。
 本句、武田信玄は「諏訪南宮法性大明神」の旗をひるがえして大いに奮つた。