三月八日

   朝日の光を奪つたは星月夜


           (柳多留 一〇四)




 朝日将軍義仲が寿永三年(一一八四)一月二十一日に華々しい最後を遂げ、星月夜の異称のある源頼朝に凱歌を挙げしめるにいたつての後日譚。
 義仲の二男、のちに原信濃守義重は樋口次郎、手塚太郎を供として上水内郡鬼無里村の安吹屋というところの洞窟に隠れ忍んだ。のち、近くに城を構築して王野田殿と呼び再起を図つたが、こと志とちがい不運にも実現するに至らず不帰の客となつた。
 人呼んで木曽殿あぶき。山中にその荒墳があり、牧の原には義重が建てた文殊堂が残されている。