三月三十一日


   西行は半ぶんよんで吸いつける


             (柳多留 二三)



 諸国行脚でかずかずの話題をまいた西行法師。歌人である。これは信濃国での物語。
 佐久市川辺の牛に引かれて善光寺詣りで有名な布引観音をお詣りして別所の北向観音へ行く道すがら、小県郡塩田町西塩田の山田峠に差しかかつたとき、蕨を採つている子供に
   子供らよわらびをとりて手を焼くな
とからかい半分に言つたら、その子供は
   法師さん檜笠きて頭をやくな
と早速やり返した。峠を下つて別所の湯川というところの橋まで来て、さつきのことをふと思い出し、あんな小さな子供がうまいしやれを言うからにはこの行く先が心配だとさとつてこの橋を渡らなかつた。そこでこの橋を西行の戻し橋と言い伝えている。
 西行法師は「願はくは花のもとにて春死なんその如月の望月の頃」と詠んで、その通り建久(一一九〇)元年二月十六日入寂したという。二月十五日を西行忌と書いたが、これは私の一日(戻し橋)となつてしまつた。