三月三十日


   日月の旗で村上名を輝らし


             (しげり柳)




 村上義光は南朝の忠臣、埴科郡坂城町村上郷出身である。通称彦四郎、左馬権頭に任ぜられていた。
 元弘の乱のとき、その子義隆、赤松則祐、平賀三郎、矢田彦七等と護良親王に従い、大和十津川に逃れようとした。
 ところが道すがら土兵芋瀬庄司に錦の御旗を奪われてしまつた。このとき一人道を遅れて来た義光はこれを知り、自ら敢然と奮い起ち日月の御旗を奪い返した。
 のち、吉野に敵軍が攻め寄せて急を告げるや、義光は親王の身代りになつて討死した。