三月二十五日


   講釈師真田が丸で銭もうけ

           (柳多留 四四)




 徳川家康は機を見るに敏という抜け目のない人物だつたからタヌキ親父と愛称される。愛嬌者のようでいて、めつたな油断は出来ぬというのが本音だろう。
 このタヌキ親父にも苦手の人物がいた。それは外でもない真田幸村
 大阪冬の陣や夏の陣の最前線に、幸村ご自慢の防衛線を築いて徳川勢を悩ませた。それが真田が丸。講釈師が最も力を入れて聴衆を喜ばす場面。
 この句、真田が丸に丸もうけとつづけたシヤレ。