三月十四日

   状箱が来ればよばれる太夫


            (柳多留 一)




 木曽義仲には乳兄弟がある。兼光、兼平、巴の兄妹。義仲を幼いとき養育した中原兼遠の子供たちだ。その頃関東へ往復の道中を兼遠の館を定宿とした坊さんがある。誰かといえば比叡山東谷の太夫坊覚明。何くれとなく文武両道の教えを授けたのである。
 のち、平清盛の怒りに触れ、信濃国にのがれ、義仲に仕えてその侍史となつた。本句のように手紙が来ると義仲は太夫坊に読んでもらつた。
 義仲亡きあと、親鸞上人の弟子となり、名を西仏と改めて浄土真宗の布教に専念したがさらに篠ノ井市塩崎に報恩院を開いた。法然上人の火葬の灰を練り固めて作つたという色形御像が安置せられている。