長寿

 敬老といっても、これを受け入れる側の老人自身の心がまえはどうであろうかと自ら問うて、これに対する三つの提案を示す老人の声を聞いたことがあります。
 その一は、どんな場合でも、愛される老人でありたいということで、よぼよぼしたのでは、見ただけで見すぼらしいから、シャンとすること。
 その二は、体を清潔にし、着る物にも気をつける。老人すべからくおしゃれをすべきである。
 その三は、絶対に愚痴をこぼさないこと。若い人に負けないくらいの新しい話をするよう心がける。
 これをおぼえていて、いいことを提言したと思っておりました折、たまたまある婦人講座で、「長生き」という題で初心者に川柳を作ってもらいました。これにふさわしいものが出来たので、やはり思いは同じだなと気がついたのであります。
  しあわせは長生き喜ぶ人がいて
  老いてなお馥郁【ふくいく】と香る人となり
  年輪の一本の皺美しい
 九十九歳で現役の銀行頭取をつとめていた人が、白寿の祝いの時に、
  来て見ればさほどでもなし白寿かな
と披露して、人としての豊かさと重厚さを示して、居並ぶ人たちを感激させました。
 私の伯母もやはり白寿の祝いをしました。白髪はいぶし銀のごとくさわやかに、寿齢のしたたかさは見る目にもいたずらな道の長さばかりではなかったことに気づいたのです。
 そしてまたその甥が米寿の祝いの宴を催しました。祝辞に答えて島崎藤村の「常盤樹」を朗吟して喝采をあびました。私は祝句として、
  生きて来た道を深めてなお奢れ
と弱輩ながら吟じますと、ご本人はこれいうなずきながら微笑をたたえてくださいました。
 老人を対象にした短歌の講座も盛んで、年をとってから始めたという人も多く、それだけに体験を生かして心境をつたえ、心をうつものがあります。
  胸うちにあせりなくとも老いの身の生甲斐と言う心のありや   六之助