敬老の日

 俳聖といわれた松尾芭蕉が『更科紀行』を書いています。貞享五年八月、美濃路から木曽街道に入り、姥捨の月をめでて、善光寺を参詣したあと、道を南に、浅間山麓をへて江戸に帰る道中記録であります。
 芭蕉は『更科紀行』のあと、しばらく奥羽地方へ長途の旅に出ます。これが『奥の細道』になるのです。
 途中、姨捨では、
  俤や姥ひとり泣く月の友
とうたっています。
 昔、或る男が妻にすすめられて、親代わりに養っていた姨を姨捨山に捨てました。あとになって、悲しみに耐えられなくなり、再びつれ帰ったという伝説です。もとは中国から伝わって来たはなしだそうです。
 松本市埋橋にある十三塚という古塚は、姨捨山へ老人を捨てて帰ってから、遙かに望み見ようとする物見塚だ、とされています。
 親を捨てるとはまことに邪慳な仕打ちですが、後に悔いあらためる人間の情のこまやかさがしのばれるところに、話のほんとうの意味があるのでしょうか。
 このはなしにはいくつかの種類がありますが、国王から「年寄りは棄てるように」とのお達しがあったのですが、とてもそんなことはできないと、床の下などに隠しておきました。と或る日、敵の国から智恵をためそうと、難問を持ちかけてきました。王は困って、ひろくこの難題を解く者をさがしました。隠していた年寄りに聞くと、こうすればよいとすらすら教えられ、国王は事なきを得たのです。国王は「老人というものはかけがえのないものだ」と気づき、ご褒美を与えるとともに、許してやったというのです。
 九月十五日は敬老の日姨捨山の田毎の月は名月にふさわしい景勝の地として有名であります。
  名月を取ってくれろと泣く子かな   一茶