案山子

 街なかに住んでいたから、遠足などで郊外に出るのがどれほど楽しかったことか、少年の頃を思い出します。肥料になるレンゲ草の咲き揃った田圃に寝転がったり、ニョロニョロしたオタマジャクシを捕ったり、人さし指でぐるぐる円をかきながらトンボをつかんだりして遊びます。
 秋といえばイナゴ捕りに母親と元気よく出かけました。袋のなかに入れてウヨウヨと動き廻るのがなんとなく無気味にも感じます。
 ある日、案山子【かかし】くらべがあると聞いて、友だちと町はずれまで見に行きました。目鼻を墨で塗りたくったおっかない顔が、ヨレヨレの着物で手は左右に広げているのがほとんどでした。なかには鬼がグッと睨んで一喝しているも見ます。
 案山子の語源は「嗅がせ」です。いやな臭いを嗅がせることで、獣類の毛や肉を焼き、稲を食い荒らす害敵を防ぐためだといわれます。
  山田の中の一本足のかかし
   天気のよいのにみのかさつけて
  朝からばんまでただ立ちどおし
   歩けないのか山田のかかし
 それに弓矢をつがえ威張っているけれど、山ではカラスがカアカアと笑い、耳がないのかね、とひやかされます。田畑を荒らすということで、猿や鹿やカラスや雀が対象になったのですが、同じけものたちの毛や肉を焼いて、かえって親近感をおぼえ、すり寄って来ることもあるのではないでしょうか。
 石油をボロ布や紙をしみこませたり、ヨモギに火をつけて畔に立てたりしていやがらせをしたのですが、考えようによれば警戒の方がさきに立ったということになりそうです。
 おっかない案山子がそこに立っている、さぞ恐ろしいだろうと思っても、雀の方はなんとも無感覚で、のんびりと頭にのせた笠のうえにとまっている微笑ましい風景も見られます。
 目を刺激する吹き流しが風にゆらいで効果をあげ、鳴子や風車やプロペラの動く音響でパッと飛び立つカラスや雀はきっと驚いているに違いありません。
 十日夜【とうかんや】は旧暦十月十日、いまはひと月遅れです。田畑を見守ってくれた田の神様が山へ帰って、ゆっくり山の神様になるといわれます。田を守ってくれた案山子を庭に祀り、新米で搗【つ】いたお餅を供えたりして感謝する風習が地方によってはあると聞きます。農家でみのりの秋に包まれて、鳥追いにつくしてくれた案山子の苦労をにこやかに振り返っているのです。