えびす講

 七福神のなかの恵比寿さまは、鯛を小脇に抱え、釣竿を持っています。いつの頃からか、これを信仰する商家が商売繁昌の神さまとしてお祭りし、十一月二十日えびす講が行われるようになりました。
 松本では本町一丁目が所有する深志神社境内のえびす殿の例祭日で、十九日には徹夜して翌朝まで、当番に当たった家の者が出掛け、景品付きのおみくじを売ることにしたものであります。
 この十九日、商家では揃って戸を閉めて休み、番頭をはじめ店員たちは大いにくつろぎました。夜になると親類縁者が招かれ、飲めや唄えの饗応があり、日頃の労苦をいやしたものです。
  えびす講旦那のこわくない日なり   (天四満二)
 これは江戸時代の句ですが、田舎でも同じだったのでしょう。そこには主従につながる信頼感がうかがわれます。
 えびす講は、収穫後の農村を対象に商店が売り出しをします。農家では、稼ぎに旅立ちしたえびす様が帰って来る日として、赤飯やぼたもちなどを供えてお祝いする習俗がありました。
 毎年この日になるとえびす講が全市一斉に賑々しく繰りひろげられます。大型店、小型店が打ち揃って、あの手この手の商戦は大いに見ものです。
 お菓子屋さんはこれまたみんなに遅れまいと、金つば売り出しを宣伝します。商売と金との縁起に、気のきいた創意が光っています。
 金つばはもと銀つばといいました。徳川五代綱吉将軍のころ、京名物の焼餅の名で売り出されてました。米の粉の皮で赤小豆の餡【あん】を包んで焼き、花模様をあしらい、色づけにした焼餅でしたた。
   釣●
  「船頭や、けふはなぜこのやうに食わぬ」「されば、合点が行きやせぬ。ヲゝそれそれ、けふは竜宮の夷講、魚ども残らず呼ばれて参りました。悪い日にお伴申し、気の毒」といふうちに、何かかかつたと釣上げ見れば、大金魚。「ヤレめでたい」と、これをしほに宿へ帰り、岡持の蓋を明くれば、潮際河豚、のびをしながら「アゝ大きに酔つた」   (一のもり・安永四年)