郷土玩具

 小林朝治は須坂町(現須坂市)で眼科医院を開きながら、かたわら版画家として全国に知られていました。私は月刊雑誌『川柳しなの』を創刊して間もなく、郷土玩具を模した版画で表紙を飾らせていただき、好評を得たものです。
 まず昭和十二年八月号が「七夕雛」。板雛は顔だけ描かれ、胴と腕木に晴着をまとわせるのですが、この版画は紙雛で、顔は押し絵を使い、衣装は紙で作ってある牽牛織女の一対でした。
 そして昭和十三年一月号から六月号までは「張子の虎」、眉に鳥の羽根を用いたのが特色で、首を振ります。
 七月号から十二月号までは「七夕奴提灯」。いまはあまり見かけませんが、昭和十七、八年頃までは売っていました。七夕様のお祭りにこれを軒下に吊るし、ロウソクを立てて灯を入れると、ほのかに初夏の情緒をゆらめかしました。風が吹くと、奴の肩の部分と足の部分がさし込みでペラペラゆれます。
 昭和十四年一月号から六月号までは「押し絵雛」。内裏様や天神、武者人形など、材料は布を使い胴中に竹串を貼り込んで台座に立てます。代々その家に伝わって来て一年一回飾ることを誇りにしてまいりました。
 つづいて七月号から十二月号までは「古型牛伏寺厄除牛」。松本市内田の牛伏寺ゆかりの郷土玩具。昔、大蔵経を背にした牛がここで倒れために一宇を建てたという伝説があります。
 そのあとも連載を予定していましたが、その年の八月五日、芸術上の悩みで自ら生命を断ってしまいました。惜しい人でした。
 松本郷土玩具は、このほかに復元現存するものでは「松本姉様」「松本手まり」があります。武井武雄著『日本郷土玩具』では「松本姉様の作風は、荘重優雅でしかも艶麗、封建的な気分がよくにじみ出ていて、姉様中屈指のものである」と高く評価しています。
 「松本手まり」はシンの中に山マユや鈴を入れてあり、白糸でそのまわりをくるくる巻いて、表面は色糸でいろいろな模様が浮き出させてあります。
 竹を切って赤髪を張り、ちょっと金紙を配した「初音」は大晦日の夜に売り歩く愛すべき小品。「松本達磨」は目無し、胸間に大当【おおあたり】が特徴で願いごとが叶うと目を入れてやります。
 廃絶になりましたが、「浅間土玩」はいかがでしょうか。素焼の亀と土瓶とカマドを買ってもらい、湯の中で楽しんだことを思い出す人も多いことでしょう。