いが栗

 えぞ豆本、九州豆本、青森豆本とかいろいろの豆本があります。版画、エッチング、孔版、拓摺りなど、あらゆる巧緻を極めた印刷技術が、瀟洒な製本に仕立てられ、愛書家にとって珍重すべき限定本。にわかに入手出来ない状況であるだけに、貴重な、そしてまことに小さなアイドルにも似たコレクションというところでしょうか。
 棟方志功年賀状、木下夕爾俳句集、正岡容寄席むかしばなし、蔵書票あれこれ。てのひらにちょこなんとのせて娯しむそんな本。これらを集めた豆本蒐蔵館を公開している人がいます。
 武井武雄豆本のうち第七冊は『本朝昔噺』。かっぱ摺りで、紙を型ぬいた数度刷りの気のきいた本ですが、そのなかの「さるかにかっせん」を見ると、臼、蜂、蟹、猿といっしょに栗がへの字に口をむすび、あのイガ栗頭そのままにきかん坊風に描かれています。
 イガ栗頭とは、髪を短く刈った頭ですが、落語の「いが栗」は、辻堂の縁に痩せ衰えた恐ろしい顔をした坊主がその頭の持ち主、旅人が道をたずねてもロクに口を開かず、やっと老母と若い娘の家に宿を頼んだが、この娘が奇病のわずらい。実はかの坊主の悪霊がたたっていたのをうまい気転で追い払い、それが縁で娘と祝言します。いざ新枕となると、ガタガタ邪魔が入る。実はネズミのいたずら。そのとたんにネズミの穴につめてあった栗のイガが落ちます。旅人は「アッ、まだイガ栗が祟っている」と苦笑い。
 小さいころ、遠足にはわらじをはいてゆくのがきまりで、歩くのに足も軽くスタスタと運びよかったものです。落ちているイガ栗を見つけると、わらじで踏みつけるのがよいといって、そのようにするとポッカリかわいい栗が出てきます。
 黒煙を吐きながら通る汽車が珍しい時分でしたから、その鉄道の枕木用材として栗の木が使われるのだと覚えていました。水湿に堪えるだけの堅さがあるからでしょう。
 一時は食生活に離せない役割を持っていて、子供のおやつ代わりに使われました。余った栗は米と同じ値段で取引されました。「栗一升、米一升」はそれを意味するわけで、のち鉄道枕木として採用伐されるようになって価格が高騰、ために「栗一升、米三升」に上昇したといわれています。
 ゆでた栗の皮を母はしきりに小刀でむきながら「昔あったとさ」と面白い話を聞かせてくれました。一つむけるとてのひらに載せてくれたっけ。