落ち葉

 「いま松本駅に着いたばかりだが、君と逢って話したいことがある」―そういう電話がY君からありました。何だろうか、たしか岐阜県にいるはずだが、その後の動静を聞こうということもあって、早速出かけました。
 道々歩きながら話すところによると、せっかく接骨医を開業したのに思わしくなく、とうてい見込みは立たないから郷里の新潟県に帰って出直しだ――というのです。
 知らず知らず深志公園の池のほとりに来ていました。さびしそうにベンチに座り、うつろに鯉の泳ぐさまを見ています。「まだまだ私たちは齢が若いんだ。これからさ」と私は激励しました。
 松本中学のとき転校して来たY君は、すでに家庭的事情にさいなまれ、親戚の家から通学していました。卒業すれば自立しなくてはならないと決意、柔道に専念しこれを生かす職業を選ぼうと考えたのでした。
 彼を慰め、励ましながら深志公園を去るとき、しきりに落ち葉が私たちの肩のうえに舞ってきます。淡く秋の陽がふりそそぎ、彼の捲土重来をかばうようにも思われたのです。「さようなら、お元気でね」―そういって駅頭で別れたあの日は、昭和の初めでした。
  漂々と風に吹かれて野をぞゆく地に擦りてとぶ落葉も踏みて   郁太郎
 それから私たちのうえに幾星霜が流れてゆきます。戦争が始まり、終戦一カ月前、強制疎開に遭った私たち家族は郊外に移り住んでいました。中学同級だったA君から「秋の果物をわけてくれる知人がいるから来たまえ」という知らせがありました。「嬉しいな、有難いな」と思い、自転車で入山辺小学校のAくんを訪ねました。教え子たちの家々に案内してくれ、大変お世話をして下さったのです。 野山の紅葉がとても美しく、そしてあたりにはまた落ち葉が降りかかってもいました。寒々とした晩秋の風景のなかに友情のいつくしみを感じないわけにはいられませんでした。
  落葉はげし戦を千代に記憶とす   静生
 そして十年がたちました。突然、Y君が私の家に見えたのです。とても明るく、あれから別れて以来三十年ぶりではありませんか。奥さんは歯科医、自分は接骨医、息子さんは医大生、そんな話がポンポンと出てくるのです。このとき私たちは深い秋に包まれ、庭明かりにひらめく落ち葉が「久し振りね、よかったね」といわんばかりでした。