体育の日

 運動会のシーズン。保育園や幼稚園、学校、職場、町内でもさかんです。このごろは老人の運動会もやるようになってきました。灰皿を頭にのせて落とさないように走る「はげかくし競争」は、ユーモアにあふれています。
 昔、天守閣広場を運動場としていた松本中学時代、私の友人で五年の卒業まで運動会のどのプログラムにも参加しない変わった人がいました。運動会のプログラムの第一番は、一年生の一〇〇メートル競争。友人はビリから一等になりました。これを記念していっさい運動ボイコットをきめたというわけです。
 ヘソまがりは彼ばかりではありません。これと志を同じくするケッタイな仲間と一緒に、まるっきり離れた校庭の片隅で、野球をしてお茶をにごしていました。それでも棒倒しだけは毎年参加して、大いにヤンチャぶりを発揮したのです。
   駈ける名人●
  追ひかける名人あり。ある時盗人をおひかけて行く。むかうから友達来り、「なんだなんだ」「どろぼうを追ひかける」「その泥坊はどれだ」「アレあとから来る」   (咄の安売・文化四年)
 往年の日本陸上競技界で知られたひとに、野口源三郎がいます。大正四年二十七歳で松本中学校に赴任、徒歩部(のちに競技部)をつくったり、また長野県陸上競技大会創立にも力を尽くしました。大正六年、第三回極東オリンピック十種競技に出場し、その覇者となっています。
 当時、一、二年生は一里半、三、四、五年生は二里半のマラソン競争を実行しておりましたが、野口が来て一層充実した内容になったそうです。野口は三年ほどいて、母校の東京高師に迎えられ、やがて陸上競技界の第一人者になります。
   忘れてる頃にマラソン一人着き   青子