八月

 五十四回目の終戦記念日である八月十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で開かれた。
 思えば昭和二十年、長く一家で住んでいた家屋の強制疎開の難に遭う。電話局周辺五十米に接する民家は七月十五日限り、白壁に泥を塗ったくり迷彩を施した土蔵だけは難を逃れ、長く住んだ家屋を残して郊外に島内村の遠い親戚を頼り、放置してあった蚕室に住むことになった。
 蛇がよく出るところで、樹に登った青大将に近所の人が大きな鋏で退治してくれた。
 父母と共に私たち家族五人。そこで夕立が降ったり、水はけの悪さで閉口したが、一カ月経て終戦のラジオを聴いた。すぐ家に帰りたいが、折角親切にして下さるので、もう暫くいたい気分になっていた。
 秋になった。寒い風が吹くと何となく心細いものを感じる。もとの家を親う余り、土蔵が残っているから、そこで住むことにしたらと意見が一致して大喜び。
 手伝ってくれるものがあり、馬方の荷物運びの人が見つかり、一杯載せて元の家に帰って来た。家といっても家屋の破壊されたあと僅かに残る土蔵だけが目当てである。
 そんなことを思い浮かべていたら、あれから五十四年の前のことであり、
   家をぶっこわされても
    陽は東から
の句を思い出した。
 自分の生まれた月日は八月十六日だから、おぼえいいつきひで、暑い最中積み重なってゆく川柳しなのも、やはり長い年月を過ごして来たと感慨にふけるのである。
 いま老後の一日一日を大事にしながら、夫婦二人で暮らしているが、ちょいちょい大手三丁目の家族が訪ねてくれるので楽しい思いがよみがえる。
 夜は静かすぎるほどで、近所の犬が警戒するのか、寝てしまった夜中に吠えて注意してくれるので嬉しくなる。誠に犬の多いところで安眠ができる。

   あれよあれ夜中護って
        月も澄み