十月

 別宅の道に面して、隣の入り口に柿がたわわに色づいた。いい眺めである。メゾンだから大勢住んでいてあまり顔なじみになるような間柄でもない。動作はわかるが、顔は頓と覚えず、時間が銘々だからで気にもとめないでいる。並ぶいくつかの自動車は出勤用のせいか、いつも二台三台と並ぶ。
 柿がいくつも落ちている。誰か拾うものがあるかも知れない。しぶ柿だつたらお気の毒、くやしまぎれに地面にたたきつけるだろうか。それでも風の吹くたびに、ごろごろと転んで行くに違いない。落ちた柿の詮索までして見てもおかしがられるだろうか。にこにこ顔で天下泰平とゆこうか。
 中学一年生の国語読本に
   柿くへば鐘が鳴るなり
        法隆寺   子規
 修学旅行のとき改めて、この句を何となく口ずさんだものだつた。後になつて「夢にさと女を見」の
   頬べたに当てなどすなり
         赤い柿  一茶
を見つけた。人情味が伝わる。
 長じて川柳を識り
   柿の木の記憶は父の
        肩車    瑠璃
 今は肩車というのを見かけないけれど、ほかに可愛がり方がありそうだ。
   柿の木の上であやまる
       馬鹿ななり
          川傍柳
 人影もないからちょっと失礼して見るかが飛んだ失敗だった。
 木の上であやまっているのか。いっそ可笑しい。
 渋柿であるかどうか試しにちょっと口にして見る。最初は渋いがだんだん甘味が出るのが普通。中に種なしがあると見えて淡黄色、豊後佐伯から産出されるとか。味の深さ天下一品だが、産額は少ない由。
 世に言う柿ほど数日にわたって味深いものはないという。これは柿の甘味が単なる糖分ばかりでなく、タンニンの作用があるとか。
 昔の素人療養の中に柿の効用が伝わっており、熱を去り消毒に効ありという。吐血には吊るし柿を黒焼き粉にして呑む。火傷には渋柿の生ま汁をつける。
 香魚を捕らえようとするには、先ず渋柿の渋汁を川に流すことだ。すると他の魚類には何の障りなく香魚だけが弱って水面に浮く。