五月

 季節はずれの果物類が店頭に並べられ、初冬でなければ食べられなかった蜜柑類が、いま得意顔に売られている。ちょっと昔、すっぱいものが甘いのと肩を並べていたが、どれを買っても甘い種類になってしまい、特にすっぱい好みの人には物足りないらしい。
 湘南地方の人には丸烏賊なんていうのは知らなかった。友人が湘南に住むようになり、数年振りで長野県に帰ったとき、なま烏賊でない丸いかの正味を二重に味わったものである。
 山国だから魚が重宝され、そのためには何々街道といって、魚が牛や馬の背に乗って運ばれた。海岸による魚種類が違い、ブリなどは越後と違ったものだった。
 今でもそうだが、山国生まれの連衆は福井地方の海辺に羨望がつのり、何々団という一行を組み海の違いの正味をほしいままにしている。
 魚屋さんの広告に、たくさなる魚の偏を並べて、何とよみますかと山国の目を驚かす。辞書を引けば無論わかるが、物知り学者と称する変人はすらすらと素早く解いてくれるのを聴く連中はひま人とからかわれて読むのに夢中だ。
 画で二人にこにこ並んでいる者が何を持っているかでわかる。飄逸無碍。わたしは床前に棟方志功画く極彩を掛けてあるが、わたしの希望を入れて頼んだもの。寒山は経巻を披き、拾得は篭を持つ図柄。毎日この画の心を味合う。
 仙台で川柳大会があり、偶々川上三太郎さんと同道で楽しかった。今から三、四十年前になるが大会を控えて歯がガタガタで思い切り入れ歯にした。慎重を期して仙台へ行くまでに数日歯医者に通院したものだ。名医だったと思うのは今日まで故障なく暮らしていることだ。帰りに今野空白さんに寄らして貰った。よく執筆していただいた。東京での大会に同席で、私の願いをなえて、拙家に泊まっていただいた。
 私は時はずれのいなごのつくだにを毎日賞味している。甘からい味がとてもよく、口のなかでころがるようだ。
 酒は毎晩一合と決めて、ゆっくりゆっくりといただく。齢を重ねての妻との同伴は楽園とか。