八月

 決してハイカラではないが、昔ロイド眼鏡の異称ではやつたのを愛用して久しくなる。下に小さく老眼用、上に広く近眼用として最初は使つたが、だんだん視力が弱くなり、どつちつかずに掛けたまま上げ下げした格好で見る。
 こうなると素通しの伊達眼鏡のようなものだと思う。或るとき眼科医に診ていただいたが、ごく小さい塵が入つて気持ちがわるかつただけに過ぎず安心した。嬉しいあまり眼鏡をサツと掛けたら、医師曰く「それはわたしのです」
 どうもこんなとき失敗するのでわれながら慌て者だと思う。一緒になつて目を合わせて苦笑い。
  母の眼へ娘の乳の恩返し
      柳多留三八
 今は人の子の母となつた娘が、母の突き目へ乳をつぎこんでうやつている。幼い頃、やはり同じく母の乳で育てられた恩返し。私はやはり母の乳を目に受けた記憶がぼんやりある。
 今はあまりやらないが、幼いころしやつくりが出て困るとき、後ろからどつと驚かすととまつたものだ。
   技身にてしやつくりをとめて
     叱られる 川傍柳五
 どうもこれでは驚かし過ぎて閉口しよう。
 抜身のような物騒なものの代わりに、長尻の客にはぐつと優しく箒がこつそり奇形のように愛用されたものだ。
 飯でも食いに来たお客が、そろそろ飯時だが、なかなか帰りそうもない。いまいましいお客でどつしりかまえている。
 箒は屋内の塵を掃き出すものだから、これを逆さまにしたら、客の尻が軽くなるものと考えた。
   たけ箒
 長咄する客来る、亭主うるさく思い、丁稚に、「箒を立てよ」と言い付ける。丁稚うなづき、勝手へ行き、箒を立てんとするに、客の草履取が見て居る故、立てる所なし。詰方なくて背戸へ出見れば、竹箒あり。これ幸いと、逆さに立て内へ入れば、客「今晩は何も用事もござらぬ。ゆるりと御咄承りませふ。まづ家事をば帰しませふ」
    (平成餅、安永二)
  竹箒立てるとお供ばか帰り
        柳多留二七