九月

 郊外地といっても、まるっきりハイヤーが通らない訳ではない。朝など出勤時間にはひっきりなしに忙しそうに通るから、学校へ行く児童たちが注意深く見守って、道を譲る姿がいとしいくらいだ。
 ポストは近くにあり、時間を見計らってキチンと集めに来るから覚えていればとても便宜である。少し遅れたなと追っかけてゆくと向こうの方で停まってくれ親切である。
 通り掛りに墓地がある。何となく頭を下げて弔意を表することか。私のとこはここになくて城山の近くだから縁がないような気がしてもつい礼拝を怠らない気になる。と言うのも私の父はこの地から養子に縁づいた関係もあって、父の祖先の墓はここにある。何々院の院の名号のことで尊がっていた。
ここをひょっこり通り掛ったとき、いたいけな子供とその父が、盛んに問答しているのに会い、しばし立ちどまった。あまり時間を掛けてまで、じろじろ傍観するわけにはゆかず、ただ二人の動作が真に迫っているのである。
 中年にもゆかない父とその子で子が地をたたいて「お母さんお母さん」と呼びつづけている。お母さんが逝ってしまったのだろう。「お母さんは亡くなってしまったのだ。ここに眠っている」という面持ちだろう。
 子供が「お母さんお母さん」と土のあたりを叩いている様子。真に迫って来るような気持ちになってしばし見守ってあげた。
 奥さんが若くて亡くなり、子供を残したままとなったのだろう。しきりに「お母さん、お母さん」と土をたたいている熱心さと可憐さに目をつぶって敬意を表してあげたのだった。
私のとこは長女、長男、次男、次女、の四人で、姉はもう故人。私の弟は若くし夭折に遭った。今生きていれば八十歳くらいになる。自分の齢を思うと弟は二十六才で逝くなり、その霊位に拝礼を怠らないでいる。
 私は毎朝毎夕散歩を怠らず精を出したい。あまり遠くでなくごく近所だけを回る。長女が送ってくれたステッキを愛用、くるくると回した妙技はせず、コツンコツンと音を聞いた振りでわが生命のふくよかさを念じるのである。明日もまた。