一月

 私は一度も会ったことがないが東京の春陽堂書店は古くから古川柳に関する諸題の単行本を出版されているので、何のお近付けも通さず些々たる「川柳しなの」を送り続けている。
 今度、大栗葉丹後著す「裏隠密」叢書長く続いているなか、松本のところが出て来たので紹介したくなった。その文のなかに石曽根民之助が突如参上のところから。

 その折、松本城下に、石曽根民之助という風流人がいると聞かされた。石曽根は八十八歳だが、矍鑠として俳諧の発句付け点者として、人々の指導に当たっているという。
 左近は通りがかりなので、表敬訪問したいと思ったのである。江戸へ戻ったとき、水野家での格好な話題になるはずであった。
 左近は、一軒の仕舞屋で足を止めた。大きな柿の木が目印だと、道々で聞かされてきた。
 「ごめんください」
 左近の声に応じて、玄関先に飄々とした老人の姿が見えた。孤高の鶴といつた感じであった。
 「石曽根民之助さんですな」
 老人は頷く。
 「その民之助ですが、どなたですかな」
 「江戸の将棋師で左近と言い、旅の途中です」
 「江戸のお方…」
 「当ご藩主水野さまと、江戸屋屋敷で時折に将棋のお相手をしていますが、わが城下に石曽根なる風流人ありと自慢話を聞かされましたので、お目にかかりたいと参上しました」
 「殿がわたくしのことを…何もないがお上がりください」
 「実は妻を蕎麦屋に待たせてありますので、玄関先で失礼します」
 左近は、上がり端に腰を下ろした。
 「近ごろ江戸では、小ばなしというものが流行りだし、『昨日は今日の物語』という本が評判ですが…石曽根さんは、なかなか造詣深いと水野さまからお聞きしました」
 「わが殿には、わたしをどのように言われたか分かりませんが…」
 「石曽根さんは発句付けからさらに進んで、新しい型の句をお考えとか」  (次号へ)