十月

 家にいても山が見えるし、外出すれば四方八方山ばかり。嬉しい時でも悲しい時でも山は元気がよい。存在感を山自身持っているわけだ。それだけ堂々としている。
 てくてく歩いて行って、あたりを見回すと親しげに山がもう挨拶してくれる。近い山、そして遠い山、低い山そして高い山々。
 汽車で行くつもりでいても、その日夕方到着する市や町なら、親しい友を見つけて同伴としやれるのだ。言葉通り山あり川あり、森あり林ありと身膚で通じる。
 平野から山に、順序よくあらわれるので変化に富むというもの。足腰の強い人なら中年くらいまで友達と一緒になって、まだ知らぬところを珍しがって辿る。
 さて小学校、中学校のそれぞれ一年生の始めに身体検査を実行する。友達の誰もが裸になって身長度量を測るわけだが、何時でも比べると私ほど痩せた者がなかったので、人ごとならず誰よりも一番恥ずかしがったわけだ。
 しかし誰もひやかしたり、あざけつたりはしない。小心者などとこれ見よがしな呼び方もない。同級生の一人でも変な目で見ることもなかった。
 運動会のプログラムで一番初めが一年生の百米競争だが、並んで正々堂々に走って見せたけれど、後ろから一番のビリ、走るには走ったが誰よりも遅くてゴールイン、誰一人も声を掛けることなく終った。大柄な者ばかりだから当然な結果でさっぱりしたものだった。それから五年生になるまでどのプログラムにも出場しなかった。
 でも満更な足弱ではなく、近辺の山々は友達を誘ってよく登ったもの。槍ヶ岳・燕・常念・乗鞍・御岳・など幾回も出掛けた。
 いまはどうも齢で眺めるだけに過ぎるが、見ない日がない山々は健在だ。
 いまの「川柳塔」の前の「川柳雑誌」の表能に槍ヶ岳を背にした私のスナップを掲載して下さった。七十年も経た昔だからなつかしい。
 麻生路郎師は待望の日本アルプス登山に来て下さったが、雨のため実行出来なかった。
  遠く来てしなのに
    山のない日なり
          路郎