五月

 わが松本市は岳都の異名があつてぐるり山々に囲まれているが、四季を通じて馴染み深い間柄にある。夏になると待つていたとばかりに各地からアルピニストが押し寄せて、松本駅は混雑に溢れて賑やかさを増す。都塵を離れて清澄な山々に憧れる連中で、さすがリツクサツクを背負つた凛々しさが目覚ましい。
 今では夏ばかりでなく、寒い冬のシーズンを目標にアタツクする者がやつて来て、これはこれでまた賑やかさを増す。装備不足をたしなめられて遭難助長の注意をされる輩もある。泰然と構える山々は黙して語らないが、慎重を旨とする登山でありたい。
 地元だから日本アルプス連峰を踏破する余裕が十分あるわけだが全部というわけにはゆかず、燕岳大天井岳乗鞍岳槍ヶ岳くらいのもので、穂高岳一連の険阻の登山はしなかつた。「お前にはちと面倒だ」と諦めたものだ。女性に評判の高い白馬岳連峰は登山した。
 川柳に入門してまもなく槍ヶ岳に登つた写真が「川柳雑誌」の表紙に紹介された。
   岩を抱き大空の死に
      触れんとし
 実感のまま、臆病者の私にはびくびくだつた。翌年もまた登攀に出掛けた。青春時代はやはり山だつた。すれ違う同じ登山者に「こんにちわ」と声を掛け合う親近感に触れて、登山の醍醐味を共にした。
 毎日新聞整理部の渡邊蓮夫さんと知るようになり、松本支局が私の家からほんに近いところにあつたので、出張ごとに東京の柳界の情勢まで耳を楽しませてくれた。
   あの山をむかし歩いた
     足さする  蓮夫
 記者であり登山家でもあつたから、北信の麓あたりに小さな山小屋を建築、信州に寝泊りする話を聞いて羨ましく思つた。
 蓮夫さんは四月十五日他界された。哀悼の意を表するに余りあるが、お出でになるごと奥さんとご一緒だつた。話し好きな私の妻とよく性が合つて睦まじかつた。
   みんな一期一会の人で
      老の旅  蓮夫
   東京の雪はやさしい
     貌で降り  蓮夫