敬老の日

俳聖といわれた松尾芭蕉が『更科紀行』を書いています。貞享五年八月、美濃路から木曽街道に入り、姥捨の月をめでて、善光寺を参詣したあと、道を南に、浅間山麓をへて江戸に帰る道中記録であります。 芭蕉は『更科紀行』のあと、しばらく奥羽地方へ長途の旅…

一里塚

穂苅三寿雄は『新宮本風物詩』のなかに、芝宮の松並木を書いています。松本市岡田の芝宮で、岡田神社の松並木をいうのです。松本にまだ汽車のなかった頃、兵隊にとられた若者たちが馬に乗り、親戚、知人や町の人びとにこの松並木まで見送られ、多くは高崎聯…

行商

衣笠かぶりだったり、手拭は姐さんかぶりだったり、ちょっと赤いたすきも初々しく、さも働き者らしいいでたちで家一軒一軒を拾うように行商してゆく。こうした健気な女たちは季節を知っているかのように、わかめ売り、毒消し売りとして私たちの生活のなかに…

夜店

友達を誘い合ってよく田川へ水浴びにいきました。帰りには芋を掘って、焼いて食べたものです。その芋はどこの家の畑のものか、そこまでは考えないで、当然の行為として無邪気に口をもぐもぐ動かしていました。 当時、竹筒でこしらえた水鉄砲はだれもが持って…

野球

松本中学五年生の夏(昭和二年)、長野県野球大会が上田で開かれました。中学最後の思い出にしようと、応援の呼びかけもあって、徒歩で岡田を経て、錦部を通り、保福寺峠を越えて、勇んで上田まで行きました。総勢二十人ぐらいだったでしょうか。 上田市内の…

昼寝

敗戦の日、「いま玉音放送を聞いて来たよ」父は緊張した面持ちで、自転車から降りてみんなに告げました。私たち家族はハッとしながら、とうとう戦争は終わった、としみじみ顔を見合わせたのです。 その一カ月前、七月十五日を限り強制疎開にあい、長く住んで…

西瓜灯籠

西瓜(すいか)が出廻る頃になると、筑摩神社の灯籠祭りの賑やかさが思い出されます。八月十日の宵祭りには、西瓜をかたちどった灯籠が、ローソクに映えて一段と祭り気分を濃くしたものです。 会社をはじめ商店の人たちが予定をたてて、今年こそはみんなをア…

雷嫌い

近所に子供好きなおじさんがいました。うるさがりもせず、いたいけな私たちの相手になってくれました。ニコニコしながら昔話や土地の習慣などを話してくれ、決して物識り顔はしないで、親しげに子供の心をしかととらえました。そこの家の前を通るとき、中を…

馬の話

父は自ら志願して陸軍の騎兵になり、日清・日露の戦役に従軍したわりに昇進しませんでした。というのも気性が激しく、上官に反抗心が強くて、とかくの不評を買ったと、よく述懐したものです。 のち商人として独立したのですが、かつての闘志そのままに、ずい…

七夕さま

ご無沙汰の言いわけに「七夕さまのようですね。だって一年に一回しか会う機会がないですもの」とすまながったり、テレたりすることがあります。 天の川をはさんで、牽牛星と織姫星が年にたった一度デートするという。信州では八月のお盆に入る前の七日に行わ…

情歌

深志神社境内にこんな歌碑があります。 蟻も通さぬ人目の関を 夢は巧みに抜けて行く 作者は北城庵香風、本名は丸山喜代太郎、慶応元年、松本市蟻ケ崎で生まれました。長く大名町にあった頃の松本警察署に勤めながら情歌をよくし、県内外に宗匠格として鳴らし…

夕涼み

交通がこんなに激しくなかったころのこと、街がほこりっぽくなりますと、道路に水をまきます。家の前の溝からヒシャクで水をすくってはまきました。溝は沈殿物が発酵すると臭気が激しく、衛生上よくありませんので、溝さらいをよくやりました。そのころの子…

芝居のこと

食糧事情が少しずつ好転すると、戦争が終わった解放感もあって、町や村で素人演劇が盛んでした。 戦地から帰った若者たちを含めて、いく日かのけいこの成果を、晴れの舞台に披露するというものですから、隣近所はもちろん、大勢の人が観にいきました。 公会…

うなぎ

落語に「素人鰻」というのがあります。ウナギを料理しようとするのですが、素人の悲しさ、ウナギをつかまえることができません。ぬかをかけたりして、やっとのことでつかまえて、キリで仕止めたところ、こんどは脇のウナギが逃げ出します。捕えようとするの…

花火

夕飯がすんだあと、気が向くといくらかでも夜気にふれたいので屋上にのぼります。そして満天の星を眺めます。さすが澄んだ夜空です。日本で最もきれいな空は、松本と北海道の根室だ、といわれたものですが、いまはいかがでしょうか。 街々の灯り、その向こう…

花火

夕飯がすんだあと、気が向くといくらかでも夜気にふれたいので屋上にのぼります。そして満天の星を眺めます。さすが澄んだ夜空です。日本で最もきれいな空は、松本と北海道の根室だ、といわれたものですが、いまはいかがでしょうか。 街々の灯り、その向こう…

夏祭り

あちこちで夏祭りの花火があがり、太鼓の音を耳にしますと、もうあれから一年たったのかと時の流れの早さにおどろきます。 七月十四日、「今夜は宮村町の天神さんの八坂神社に行くぞ」と、子どもたちは川原へ青い葦をとりにゆきます。青、黄、白、赤、黒の五…

相撲興行

大相撲の地方巡業は、たいてい深志公園の広場でした。今は市民会館や放送局の建物があって、あそこが大きい広場だったなんて、とても想像ができません。 広場の南には池があり、小高いところにキナパークという活動写真館がありました。広場の西側は、南深志…

うちわ

「暑くなったわね。そろそろうちわがほしい頃だが、いまにどこかで持って来てくれるだろう。それが待ち遠しいよ」 出入りの商店の顔馴染みが、暑中見舞のご機嫌伺いに、家ごとに配ってくるのをあてにします。 名入れのうちわを手にして、やっと夏らしい気分…

へぼ将棋

アララギ派の歌人土屋文明が大正十一年松本高女の校長で赴任、二年間松本にいました。一風変わった気骨のある方だったようです。気軽に職員室に顔を出しては、トランプに興じて談笑し、机に腰をおろし、足をブラブラさせているのがつねのようでした。 そのこ…

ホタル

泣かぬ蛍が 身をこがす ことさらに口に出して言わないものの方が、ほんとうはかえって深く思いつめているという諺であります。 じっとうちに秘めた想いに耐えている風情が、ほのかに浮かんでくるではありませんか。 コオロギ、松虫、鈴虫は声楽家で、よい音…

タケノコ

タケノコが私たちの食膳をにぎわすころになると、子供のときタケノコの皮を一枚、母からもらった日のことが思い出されます。 皮をひろげてそのなかに紫蘇(しそ)の葉を加えた塩漬けの梅をくるみます。とんがった先からチューチューと吸うのです。あの酸っぱ…

梅雨しきり

梅雨がしとしと降っています。あのとき植えた稲の苗が、真直ぐ立っていてくれるかなあ、と心配します。 というのは、戦争中、勤労奉仕に出かけた農家でのお手伝いに、馴れない手つきで田植えした結果をそれとなく思うからなのです。 青年会とか婦人会、そし…

父の日

松本市に住む六十歳を過ぎたオジイさん、オバアさんたちで、川柳を愛好する集まりが毎月一回顔合わせをして、作品に取り組んでいます。 題は「生き儲け」「長寿」「入歯」「敬老会」といったお年寄りにふさわしいものを選びます。「頑固爺」「梅干し婆」「鼻…

槍ヶ岳

松本市街地から北アルプスをながめると、その山々のたたずまいの威容さがよくわかります。小さく見えても槍ヶ岳の俊峰はやはり秀でています。 この槍ヶ岳開祖の播隆上人の名が知られてきたのも、古きをたずねる風潮からでしょうか。 今から二百年程前、播隆…

腹時計

「今度、関西方面に出張することになったが、途中松本に寄って行きたいから頼む」と、友人から手紙をいただきました。新潟県の税務署に勤めている同じ川柳仲間なものですから、早速承諾の返事をしました。 予定のように到着、ゆっくりよもやまの話をしたので…

ドッコイショ

母から教わった昔ばなしです。 親類へお客によばれていったら、お団子をこしらえてくれ、そのうまさがこたえきれない。「これ何というの」と聞くと「お団子さ」「忘れないで覚えていこう」そこでオダンゴ、オダンゴと繰り返しつぶやいて歩く。すると途中に溝…

猿廻し

暖かくなって来ると猿廻しが一軒、一軒隅々までその姿を見せました。 門口でしょいなげをする猿廻し (柳多留 一八) 背中の猿をポイとあがり口へ投げ出す様子ですが、立ち上がってヒョイヒョイとステップを踏んで、愛嬌たっぷりに表情をつけます。家族一同…

れんげ草

陽気がよくなったので、ぶらっと安曇平方面に足を向けていました。その日はとても晴れて、大空は高く、陽の光りもまことにおだやかでした。 その頃、安曇平に居をかまえていた小林邦画伯を訪ねました。幸いにも画伯は構想を練っていたモチーフがきまったとき…

旅に見る雲

苗を植える月、早苗月をつづめて五月をさつきと異称します。吹く風も夏めいて新緑葉に映える好季節。その風薫る五月十日が私たちの結婚記念日です。「昭和の何年ですか」と問われ、頭が禿げ皺のある顔をつくづく鏡で見るとき、さて指折り数えてうたた感なき…