れんげ草

 陽気がよくなったので、ぶらっと安曇平方面に足を向けていました。その日はとても晴れて、大空は高く、陽の光りもまことにおだやかでした。
 その頃、安曇平に居をかまえていた小林邦画伯を訪ねました。幸いにも画伯は構想を練っていたモチーフがきまったときだったのでご機嫌がよく、お会いできました。
 近頃の画壇のこと、絵画の将来など話し合ってから、近作を見せていただきました。そのなかに、あたり一面、れんげ草の咲いた風景が私の目にとまり、急に欲しくなってきたのです。
 山がおおいかぶさるように迫っているその下に、むせかえるほどのれんげ草が見事な紫紅色に彩られているのです。力強い色のタッチ、風景のなかに交錯した筆致の妙が、私をひきつけました。
 小脇に抱えて、安曇平をスタスタと歩きながら、振り返り、振り返り北アルプスの実景を眺めました。その油絵は時季になると部屋に飾ってたのしんでいます。
 「れんげ田は、僕らにとっては、天与の楽園であった。鬼ごっこさえできた花田の中に寝そべれば、鬼の目をのがれることもわけなかった。むせるような花の香のなかで耳をひそめていると、蜜蜂のほかに、ときたま、ラグビーのユニホームまがいの、黒と黄とのだんだらの、べえぼ蜂が、大きな尻をふりふりやってくる」と、臼井吉見の随想に描かれています。
 そのれんげの花絨毯が姿を消してすでに久しく、遠い回顧の彼方にそのまぼろしを瞼に浮かばせる人も多いのではないかと思います。
 幼い日、城山から眺めるその頃のれんげ田の美しさは、心を躍らせたものでした。紫紅色に染められた田園の広く豊かな景観こそ、農村としてのイメージを濃くし、なつかしい回想をかきたててくれるのです。
 れんげ草は田圃の緑肥として使われていました。ところがメタンガスの醗酵が甚だしく、イモチ病の発生をうながすということもあって、いつの間にかれんげ草を播くことを控えるようになりました。また化学肥料がこれに代わり、いままでのれんげ草が熟成するまで待てないほど、田植えの時期を早めさせてもおります。
 貴重な肥料になるれんげの復活を夢見て、安曇平の一角でわずかながらも、れんげ田を育成している人たちがあると聞きます。