旅に見る雲

 苗を植える月、早苗月をつづめて五月をさつきと異称します。吹く風も夏めいて新緑葉に映える好季節。その風薫る五月十日が私たちの結婚記念日です。「昭和の何年ですか」と問われ、頭が禿げ皺のある顔をつくづく鏡で見るとき、さて指折り数えてうたた感なきにしもあらず。振り返る幾星霜を思いやり、若き日は遠いなあ、とついあらたまってしまいます。
  芹なず菜 花に なるべき朝から濃い陽   半平
 華燭の日にお祝いとして贈ってくれた短冊ですが、半平とは扇屋半平。
 扇屋半平は俳句を中塚一碧楼に師事していましたが、のちに荻原井泉水の門に入った住山久二。本名久治、自由律俳句です。薬種商扇屋、巾上町通り。扇屋膏を製造していて、家伝薬として全国各地に注文、集金に飛び回りました。そういう旅のあちこちに郷土玩具を求める機会が多く、蒐集家を自ら任じてもおったのです。
 年賀状の体裁はいつも郷土玩具を写真に撮って凝りに凝った典雅を誇り、ことしの図案は何だろうと心持ちにする人もいました。そういう人に限って年賀状の風変わりの、特異ないくつかを蒐めてたのしみます。
  みちのくの牛(ベコ)追うて牛の夕まぐれ
 遙かなる旅路に生まれた句です。
  みんな鞄にはひって汽車に乗るばかり
 あたふたと旅装を整えて出かけてゆく心意気がこめられています。
 こんな詩賦を書きました。
    たび
  もの云はであるあひだ
  ものおもはであるあひだ
  旅こそよけれ ひとりしあれば
 ひとの世の旅のこころを知っている肌合いが、こよなくもうかがわれます。昭和十七年霜月二十八日、遠く北海道は北見市で客死、この人らしい往生でした。
 私は昭和十一年九月下旬、鶴林堂書店楼上で川柳趣味展覧会を開き、たまたま大阪の麻生路郎が来て座談会を催したところ、久二は喜んで出席、薀蓄ある日頃の文学熱を披瀝し、みんなを感激させました。もの柔らかく温顔をたたえた話し振りが、いまも耳に残っています。
 生家に近い女鳥羽川畔の石尊神社境内に久二の句碑がたっています。
  黙って居れば 子供の音 風の音
 静かな流れを聞き、ふるさとに眠る安らぎのうちにたまには旅の夢を見るのでしょうか。