花火

 夕飯がすんだあと、気が向くといくらかでも夜気にふれたいので屋上にのぼります。そして満天の星を眺めます。さすが澄んだ夜空です。日本で最もきれいな空は、松本と北海道の根室だ、といわれたものですが、いまはいかがでしょうか。
 街々の灯り、その向こうでスーッと花火が上がります。どこの夏祭りか、そのあたりの賑わいを目に浮かべたりします。
  音もなく花火のあがるよその町   雀郎
 女鳥羽川や薄川の河畔で仕掛け花火があるとき、きまってわざわざ遠くから観に来る人たちがいます。ドーンと予報があると、まもなくパチパチッ、大きな花火が上がり、夏の夜空は明るく彩られます。
 竹久夢二の花火の版画は、うしろ姿の女のひとのほど近く、色どりよく上がっていて、郷愁にも似たこまやかさがあり、詩情すら抱かせられます。この女のひとのモデルは、たまきでしょうか、それとも彦乃でしょうか。
 花火好きはいるもので、夕飯も食べずに一番よい場所に腰をおちつけて、いまかいまかと待ちかまえます。いい花火が開くと、思わず「鍵や!」「玉や!」と掛け声を立てたくなるものです。
 鍵屋弥兵衛の話では、祖先が大和の篠原村から万治元年(一六五九)に江戸へ出て、御浜御殿の煙狼(のろし)方のうちあげを見て玩具花火をこしらえました。のち、水神様の夜に余興として献上花火をあげたのが、川開き大花火の起源になったということです。「鍵や」と並べ称せられた玉屋市郎兵衛は、六代鍵屋の番頭清吉が別家したのに始まるそうです。
 いま松本地方にも名煙火師がいて、夜空の饗宴にはなやかな活躍を見せてくれます。
  連れて来た子が邪魔になる良い花火  枝雪
 まさしくこの句の通りです。
 交通事情がもっとゆるやかだった頃には、夜になると家の前に出した夕涼みの縁台で、よく線香花火をして遊びました。いまも変わらぬ朱と藍で染めたカンジンよりの線香花火に火をつけ、パチパチっと火花が散る美しい哀しさは、子供ごころをゆすります。