夏祭り

 あちこちで夏祭りの花火があがり、太鼓の音を耳にしますと、もうあれから一年たったのかと時の流れの早さにおどろきます。
 七月十四日、「今夜は宮村町の天神さんの八坂神社に行くぞ」と、子どもたちは川原へ青い葦をとりにゆきます。青、黄、白、赤、黒の五色の紙を買ってきて、これをタテにつなげて横書きに「奉納」、そしてタテに「八坂大神」と大きく筆で書きます。その下へ午歳、男誰々と連記します。
 名前を書かないで「家内安全」とする家もあります。書き終わってから「ち」を葦に通して幟(のぼり)にします。深志神社の右隣の八坂神社にもっていって奉納し、悪い病気にかからないようにおまいりします。
 深志神社の天神まつりは、七月二十四日が宵祭りです。今とちがって私の子ども時代には、本町、中町、飯田町、小池町、宮村町などの商家はみんな店先にすだれをかけました。店内に秘蔵の屏風を張りめぐらせ、盆栽や生花を飾り、通りからみられるようにしてありました。天神祭りを屏風祭りと呼んでいるのは、ここからきているのです。
 町内の若い衆がかついで練りまわす御神輿(おみこし)がやってくると、お祭り気分は一段ともりあがります。これを縫うように子どもを乗せた舞台が姿をあらわします。
 大太鼓、小太鼓にあわせて囃子(はやし)がはいりますが、笛の音色もお祭りの郷愁をさそいます。
  夏祭りたがいに母となって会い   風塵
  親類がみな脱がされる夏祭り   竹人
 「そうかしこまらずに」といって、お客さんはぬがされます。
 むかしは祭りと喧嘩はつきものでした。
   祭 の 祝●
  「祭も首尾よく済んだ。祝いに池の端の料理茶屋で、ふるまひをしよふと思ふ」「そりやよかろう」と茶屋へ頼みに行く。茶屋の亭主「畏りました。お膳は喧嘩の前に出しましやうか」  (近目貫・安永二年)