西瓜灯籠

 西瓜(すいか)が出廻る頃になると、筑摩神社の灯籠祭りの賑やかさが思い出されます。八月十日の宵祭りには、西瓜をかたちどった灯籠が、ローソクに映えて一段と祭り気分を濃くしたものです。
 会社をはじめ商店の人たちが予定をたてて、今年こそはみんなをアッと言わせようと、宣伝をかねた灯籠をこしらえてます。それぞれ意匠をこらし、大きいのになると大勢でかついだり、車に乗せて出かけます。
 できあがった傑作のいくつかが、夕方、町の中を威勢よく通るのを見るだけでも楽しいものでした。これが筑摩の河原に集まって、用意した酒肴に興じながら大いに語り、歌ったものです。河原は灯籠の火の海で、大空には打ち上げ花火がつぎからつぎに開き、夏の夜の祭りの豪快さは格別でした。
 私の家でも灯籠をこしらえることにして、家紋を形どった骨組みに紙を張り、のち衆議院議員松本市長、信濃日報社長になった当時の百瀬渡県会議員に書いて貰うことにしました。
 達磨という愛称の百瀬翁は、ご自慢のあごひげをしごきながら、筆をとっていました。父の自作の川柳と、翁の戯画はほほえましいものだったことをおぼえています。あれからもう五十年たちました。
 ぼんぼんが唄われ、青山さまのかけ声が聞こえるようになると、しみじみお盆だなと実感がわいてきます。
 江戸時代、式亭三馬が『浮世風呂』のなかで「”盆にはきょう翌日ばかり あしたは嫁のしおれ草”という唄があるが、おそらくあの歌が盆歌の始めだろう。それをいろいろに和したものであろう」と書いています。
 長いたもとにたすきがけ、ほおずき提灯をつけて町をなり歩く少女たちは、いまもぼんぼんの唄をうたいつづけています。男の子たちは「青山さまだい、わっしょい、こらしょい」とかけ声をかけ、青い杉の葉でかざった神輿(みこし)をかついで町内をねり歩きます。
 元気のよい少年たちですから、ほかの町内の神輿と出会うと、けんかすることもあります。ですから担ぎ棒はすぐ抜けるようにしてあったようです。
 青山というのは、子供たちのひとつの団結の象徴とする民俗信仰であるという説があります。
 ぼんぼん、青山さまは集団のかたちをとった夏の夜の子供たちの風物詩。過ぎ去った子供のときの日々が目にうかんできます。
  盆唄の子から夜店の灯が揃い   民郎