昼寝

 敗戦の日、「いま玉音放送を聞いて来たよ」父は緊張した面持ちで、自転車から降りてみんなに告げました。私たち家族はハッとしながら、とうとう戦争は終わった、としみじみ顔を見合わせたのです。
 その一カ月前、七月十五日を限り強制疎開にあい、長く住んでいたわが家から離れることを余儀なくされました。片田舎の遠い親戚先に当たる蚕室の一部屋を借りて、しばしの仮住まいに家族七人は身を寄せ合っていたのでした。
 盛んにセミしぐれの声を聞くむし暑い炎天下、わが家はあとかたもなく破壊されたという実感が、このときどっとよみがえってまいりました。そしてやり直しだ、また再建だ、とみんなの心の中に奮起の高鳴りをおぼえたのです。
  家をぶっ壊されても陽は東から   民郎
 あれからもう三十有余年になりますが、八月が来ると疎開先の小川の流れがいたわるように、ゆるやかな音を立てて、私たちを見守ってくれたことが思い出されます。
 そのときも父は昼寝を欠かしませんでした。だだっ広い蚕室の床敷で、ゴロリっと身体を横たえて眠りました。それも長くはしないで、ほんの短い間でした。「これが昼寝のコツだよ」と、自分に言い聞かせるようにして、起きると仕事に精を出したものです。
 私もそれに習って、できるだけ昼寝をたのしんでいます。あまり長く眠っていると、さしつかえますから、なるべく短い時間のうちがいいと思っている通りに、何となく自然に眠りから覚めてしまうのがおかしいくらいです。

  うたた寝の枕四五冊引き抜かれ   (柳多留 二)
 枕にしていた本を引き抜かれても目を覚まさないとしたら、よほど寝濃い気の長い人だなあ、そう思って致します。
  うたた寝の顔へ一冊屋根にふき   (柳多留 五)
 あまり明るいものですから、顔のうえに一冊かぶせました。ちょうど頃合いの暗さで眠りいいわけです。「屋根にふき」とは言い得て妙ではありませんか。
 あるお寺に一室を借りて勉学にいそしんでいる青年がいました。ムッツリして真面目そうです。「和尚さん、論語孟子だけでは足りませんから、もっと貸してくれませんか」「それにしてもすごい勉強家ですね。感心だ」「イヤイヤ、昼寝の枕にするにはまだまだ低すぎるからですよ」。