夜店

 友達を誘い合ってよく田川へ水浴びにいきました。帰りには芋を掘って、焼いて食べたものです。その芋はどこの家の畑のものか、そこまでは考えないで、当然の行為として無邪気に口をもぐもぐ動かしていました。
 当時、竹筒でこしらえた水鉄砲はだれもが持っており、肥後守【ひごのかみ】という小刀などを使ってかんたんにできました。仲間と遠くへ水をどこまで飛ばせるか、競い合います。
 昼の暑さがつづく夜は、家族たちといっしょによく神道境内の氷水屋にいったものです。
  神道はよいよ 神道はよいよ
  水茶屋ばかり 提灯だらけ
  数えて見れば 百七つ
  かぞえて見れば ホイホイ
と、ぼんぼんの唄にもあります。青竹垣に涼み灯籠、ガラス玉のすだれをくぐって、風鈴の音を耳にするフジ棚の下は、さすがに涼味をおぼえました。白玉水、金時水などのほかにミルクセーキというのがありました。三松屋、丸イ、降旗が並んでいます。薄暗い電灯がかえって涼しい風を呼ぶようにも感じました。
 境内には銭を入れると自動的に、色つきの日本風景の絵が変わって見られるのぞき眼鏡という器械もいくつか並んでいました。夜になると中に灯りがついて明るく、いっそう子供たちを喜ばせてくれました。
 境内の一番西側のあたりで、祭文が毎晩語られました。デロレン祭文ともいいます。塚原卜伝、岩見重太郎など連続もので人気があり、浴衣がけの人たちで一杯、いいノドにうっとり聴きほれていました。子供が聞いてもわかりましたし、追いたてることはしないものですから、大人たちといっしょに肩を並べていたものです。
 私が住んでいる大名町通りには日本聖公会の教会があり、夜になると幻灯の集いが開かれ、映写しながら物語りをするのですが、わかりやすく親しみ深かったことをおぼえています。語る人はカナダのやさしい宣教師でした。
 広場に大きな柳の木があり、銀幕が張られ、柳の葉の青さに幻灯の光がうつり、ちょっとロマンチックな雰囲気でした。
  涼む灯に馴れて小銭を持ち合わせ   民郎