行商

 衣笠かぶりだったり、手拭は姐さんかぶりだったり、ちょっと赤いたすきも初々しく、さも働き者らしいいでたちで家一軒一軒を拾うように行商してゆく。こうした健気な女たちは季節を知っているかのように、わかめ売り、毒消し売りとして私たちの生活のなかに彩りをそえてくれました。
 上り口に腰を下ろして売り言葉上手に在所ばなし、世間ばなしの訛りもやわらかく、口の端のやりとりのなごやかな感じが季節のふしぶしをとらえて、ひとときの応対がたのしかったと、そんな思い出をもっています。
 軽く見えるが、実は重たい大風呂敷に包んだ品々を背に負って、富山の万金丹の合言葉もなつかしく、こちらは男のいたって慇懃な挨拶が玄関から聞こえてきます。あの四角い風船をくれるおじさんだな、と子供ごころにおぼえていたものでした。
 女たちが朋輩同士と連れ立って街中を仲よく歩いてゆくのを目にすると、「今年も達者だな、皆な稼ぎ者だな」と自分の怠け癖とくらべて、親愛感を交えながら振り返りました。
 ある夏、越後の海岸沿いの宿屋に泊まったとき、寝苦しい暑さに何度も寝返りをくりかえしていたら、隣の部屋に二人連れの男が、女中さんに案内されて入って来たのがわかりました。
 浴衣に着替えて早速風呂にでも行くのだろうと思っていたのに、何やらジャラジャラ銭をかぞえる音がし始めました。さてどんなことが起こるのかと、いぶかしげに聞き耳を立てました。
 実は方々を廻って来た富山の薬売りだったのです。一日の売上げを旅宿で勘定し合って、締めくくりをしているのでした。どうも訛りがきつくて聞き取りにくいのですが、ヤレヤレといわんばかりの歓声みたいなつぶやきがもれてきました。それでスーッと静かになり、それからどうなったか、私はついうとうとして寝入ってしまいました。
 その日、どこの宿屋も満員、駅の案内所が紹介してくれたこの宿も、普通の客部屋でなく、宿の主人の部屋をとくに融通してのお世話だったのです。どこか素人っぽく、それがかえって私の気持ちをおちつけてくれました。
 床に就く前、その土地のお祭りと知って出かけました。パァーンと揚がると、夜空を明るくして漆黒の海をうしろに花火の美しさ、哀しさが胸に響きました。