腹時計

 「今度、関西方面に出張することになったが、途中松本に寄って行きたいから頼む」と、友人から手紙をいただきました。新潟県の税務署に勤めている同じ川柳仲間なものですから、早速承諾の返事をしました。
 予定のように到着、ゆっくりよもやまの話をしたのですが、もっぱら川柳の傾向とか川柳の将来などでした。税金を上手におさめる秘訣や、税金調査に対する心得といった話題は出ませんでした。あとで考えるとなんとまあ迂闊だったと悔やむのですが、やはりお互い川柳を愛好するものの生真面目さに自分ながら感心しました。
 うちで一泊したのですけれど、いざ就寝しようとした時、カバンから何やら風呂敷包みを取り出し、うやうやしく枕元に置きました。大きな目覚まし時計です。
 友人のいうのには「どうも朝寝坊で家にいるときでも、これだけは放せない習慣になっている」とのことでした。オルゴール入りでは子守唄を聴くようで、ついまたウトウトと快い眠りに誘われてしまう、という寝過ごしの失敗談まで出たほどです。
 六月十日は時の記念日。この日が来ると、愛すべきわが友と目覚まし時計の奇しき”ちょっと聞き捨てならぬ話”を思い出します。

  人麿は枕時計を世に残し   (柳多留 五四)
 これは江戸時代の川柳です。大名屋敷などで枕時計はあったのでしょうけれど、一般の人たちは持ち合わせがありませんでしたから、人麿を枕時計にしたという句です。
 これは一種のおまじないで、柿本人麿の歌といわれる、
  ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ
の上の句を、床に就く前に繰り返し三度唱えておけば、翌朝希望通りの時間に目が覚めると信じられていました。そしてその通りに願いがかなうと、お礼に下の句「島がくれ行く舟をしぞ思ふ」と唱えてホッとしたものでした。
 正午を告げるあの城山のドンが打ち始められたのは大正四年十一月です。大正時代の郷愁にも似たのどけさがよみがえって来ます。モクモクと煙が見え出し、そして号音を聞き、その間の秒差で現在地との距離を計ったものです。大正十三年十月廃止され、サイレンに変わりました。
 日本民俗資料館の隣にある本多コレクションの時計博物館で珍しい世界の古時計を観ていると、わが腹時計は「いまお昼だよ」と教えてくれました。