ドッコイショ

 母から教わった昔ばなしです。
 親類へお客によばれていったら、お団子をこしらえてくれ、そのうまさがこたえきれない。「これ何というの」と聞くと「お団子さ」「忘れないで覚えていこう」そこでオダンゴ、オダンゴと繰り返しつぶやいて歩く。すると途中に溝があって「ドッコイショ」と声をかけてまたいだ拍子に、そのままドッコイショ、ドッコイショに変わってしまった。
 家に帰って「ドッコイショをいただいた」と自慢する。「ドッコイショなんて食べたことはない。このトンチキメ」と、やにわに頭をポカンと叩かれ、見る見る大きなコブができた。「ヤレヤレ可哀想にお団子のようなコブだな」それを聞いて「そのお団子だ、お団子だ」。
 もうひとつ。
 ある武士が殿様からお金を預かって松原を通りかかると、大男が寄ってたかって「その金を残らずおいてゆけ」「いや、この金は殿様の御用金、どうか許してくれ」「何をいう、ツベコベいわずに早く出せ」とおどかす。
 武士はとうとう堪忍袋の緒が切れて、ピカリと刀を抜き、ならず者たちを斬り捨てたが、ひとりだけどこかへ逃げ失せてしまった。
 数年たって、その武士が松本在住の山辺温泉に湯治に身体を休めていると、背の高い肥った坊さんらしい男がやって来た。胸や手に刀きずがあるので聞くと「実は四、五年前に、おはずかしいけれど私は盗賊でして」「フム」「あるとき、強い武士に出会い、仲間の者たちがやられ、私だけが残ってその者たちがやられ、私だけが残ってその者たちの供養のため坊主になったのです」「こちらこそ痛み入る。あのときの武士は私です」――。二人は手をとり合って、その奇遇を驚きなつかしんだとか。
 その山辺温泉は白糸の湯ともいい、今から千三百年ほど前の天武天皇の頃に行宮を造営する取り運びがあったのです。
 隣の浅間とよく比較されますが、中村元恒は『山家温泉紀行』(文化十二年)のなかで、低温で人の骨髄に通ずる霊効のあるのが山辺、高温であるがただ人の膚に徹するのが浅間だ、という説に対して、元恒は「そうきめつけるものでもない」とたしなめています。
 山辺温泉は三つの浴場から成っており、第一は「御殿湯」と呼ばれ松本城主の入浴だからこう名づけられ、第二は「入交(いりまじり)」で御殿湯の下流、入浴無料、もうひとつは「田中湯」だとあります。(金井圓『文化初年の山辺温泉』)