タケノコ

 タケノコが私たちの食膳をにぎわすころになると、子供のときタケノコの皮を一枚、母からもらった日のことが思い出されます。
 皮をひろげてそのなかに紫蘇(しそ)の葉を加えた塩漬けの梅をくるみます。とんがった先からチューチューと吸うのです。あの酸っぱい味が、季節の味覚として幼な心をとらえたものでした。
 タケノコというと、戦後のタケノコ生活のにがさが思い浮かびます。食糧難でみんな窮屈な暮らしだったのですから、近くの農村へ食料を分けてもらいに出かけました。
 大事にしていた着物、丹精こめた衣類など、タンスから取り出して、そっとリュックや風呂敷におさめ、これと米や野菜を交換するわけです。
 買い出しとわかると、検問所でとがめられ、没収のうき目にあうこともありました。そして松本駅前や縄手通りにヤミ市ができました。
 たばこも配給で不自由しました。路上の吸いがらを拾い集めて巻きなおす街頭専売局も現れました。家庭では新型たばこ巻き器がハバをきかせ、小型辞書の一枚をむしり取って巻き紙に使いました。
 いま考えると、タケノコ生活は夢のようですが、タケノコが出回るころになると、ふと戦後の窮乏生活がよみがえってきます。
  筍は一本抜いて先ず逃げる   (柳多留 八)
 二本までにはとても手が回らない。
  筍は盗まれてから番がつき   (柳多留拾遺 一)
 今度こそはと、やっと警戒に踏み切ったところ、
  筍のやうだと上げを下にして居   (柳多留拾遺 一)
 子供の成長の早いことに驚いたり、嬉しがったり。
     こぼれさいわい●
  「こちの藪から裏あはせの屋敷へ、竹の子が大分はへるを、断りなしに切つてとらるる。あんまりのことじや」と使をやつたれば、「身がやしきへ、むさとふんごんだ竹の子じやによつて、打ちずてにいたした」「しからば、しがいを下さりませ」「しがいはならぬ。着がへがほしか、やろ」
  (軽口初笑巻一・享保十一年)