十月五日

   蕎麦を刈る賤(しず)に田毎の道を開き

               (柳多留 一二八)




 下高井郡出身の呉服商の布屋清助が江戸へ出たのはおよそ三百年前。領主保科公にすすめられて麻布坂に蕎麦屋を創業。信州更級の「更」と保科公の「科」をとつて、屋号を“更科”。
 初代布屋太兵衛を名乗つが、東京に乱立する更科そばの元祖といわれている。
 その更級地方はどうかといえば、昔より産出は減り、今では上水内郡に最も多くの収穫があり、佐久平・安曇平・木曽谷がこれに次いでいる。それにしても全国到るところに更科そばののれんが巾をきかす。