六月六日

   川留にこりて寝覚の蕎麦を食ひ

             (柳多留 二五)




 木曽の寝覚床へ街道から入るところ、旧中仙道の寝覚の立場には昔から名高い蕎麦屋があつた。江戸時代のユーモア作家十辺舎一九著わす「続膝栗毛七篇」の挿絵に歌麿画くその店先が載せられているほどだ。その一軒は今も昔のように旅情を慰めるべく街道往来の客を呼んでいる。
 「寝覚蕎麦」或は「寿命蕎麦」と呼ばれて中山道の名物であつた。今でもある「寿命そば」の古い看板がここを訪れる人の目には時代の流れのゆゆしさを強いるのである。
 この句は、東海道の大井川あたりの川留めに懲りて、帰路は木曽路を通つて名物に舌鼓を打つ。